ガリぞうがジャグラー実戦番組で「求められているスタイル」を貫いた結果【収支日記#203:2024年1月16日(火)~2024年1月22日(月)】 (1/3)
今週の収支日記は、1月16日~22日の1週間です。12月のスランプで、番組卒業まで残り15,000枚まで戻されてしまった「プロスロ13」でしたが、1月初週の好成績で巻き返しを見せられてました。はたして今週は。
1月16日:被災
出張月には毎月6日に呼んでもらっている石川県金沢市のお店で来店実戦でした。本来の6日から16日に変わった理由は、言わずもがな能登半島地震の影響です。我々エンタメ業界の者が震災時にできる事などほぼ皆無ですが、平時に戻った際に嗜める娯楽の土壌を作る一端になれるべく頑張っていきたいです。
漫画家の畠山耕太郎先生と私のタッグで連載してきた竹書房発刊の「プロスロ~パチスロで勝つ為の王道」、続編として現在も連載中のガイドワークス発刊の「プロスロNEXT」は今年で足掛け24年目になりますが、私も畠山さんも1度被災していて、漫画の連載にも影響を与えています。
畠山さんの被災は2011年3月。誰もが忘れないだろう、東日本大震災です。畠山さんは元々陸前高田に住まわれていたのですが、新幹線便で東京の編集部へ原稿を送る不便さを解消する為に仙台にも住まいを構えていました。毎月10日の締切に原稿の提出を終えると、陸前高田に住む彼女さんが2泊3日で仙台に来られて仲睦まじくすごされていたそうです。この2011年3月も、いつものように10日に原稿を仕上げ、彼女さんが上京してきた翌日に震災が発生。彼女さんの住んでいた家や畠山さんの実家も街ごと津波に流されてしまったそうです。もし彼女さんが前日から仙台に来ていなければ、もし畠山さんが締切を1日遅らせてしまっていたらと考えると恐ろしいですが、今思えば無事で何よりです。
※震災から1ヵ月後、「帰省しました」というメールの文章と共に畠山さんから送られてきた当時の写真です。
マンションの10階だった畠山さん達の家も例に漏れず、仙台の被害も尋常じゃなかったようで。インフラも止まり、その日は避難所で泊まったそうです。その後の復興に時間がかかった事は誰もが知っているでしょう。畠山さんは絵を描ける状況になく、我々の漫画は過去23年間で唯一の不掲載となりました。
ちなみに、私は毎年春先に畠山さんへ挨拶に行っていたのですが、コロナ禍以降は自粛していました。畠山さんが陸前高田に戻り、容易く行ける場所じゃなくなったというのもありますが、コロナ感染者が少ない土地だったので迷惑をかけたくなかったというのもあります。先日、そんな畠山さんに5年ぶりの挨拶へ行ってきました。
私より1回り年上ですが、今も元気そうで何よりです。せっかく陸前高田まで行ったので、震災の爪痕も目にやきつけておこうと、陸前高田津波伝承館という所へも行ってきました。
一本松は今もそびえ立っていますが、海水の影響により枯死してしまっているようです。ショートフィルムも2本見させてもらいましたが、やはり心が痛みます。この胸の痛みを防災意識に転換すべきなのだと再認識できました。
私の被災は2018年9月。北海道胆振東部地震でした。こちらも津波こそありませんでしたが、すさまじい揺れと共にインフラが全滅し、数日は電気・水道・ガス全て失う生活が続きました。この被災時に書いた記事は今もパソコンに残っているので、当時のリアルさを伝える為にも、編集部に許可を得てそのまま転載させて頂きます。
震災の爪痕
9月6日、深夜3時過ぎ。とっくに眠りについていた私。その私の左腕を爪でえぐり、布団の中に飛び込んでくる飼い猫。腕の痛みで起きてから、アパートが倒壊する可能性までありそうな大きな地震が発生していると気付くまで、さほど時間はかかりませんでした。
揺れの影響で冷蔵庫が勝手に開閉し、中の飲み物などが飛び出してくるさまは完全にリアルポルターガイスト。横揺れが大きく、30秒ほどは立つことさえはばかられましたが、地震が収まってからは我が家全員の安否をチェック。嫁や飼い猫は無傷のようで、とりあえずは一安心。しかし、各部屋の被害状況を確認しようにも電気が点きません。こんな時はたしか風呂に予備の水を張っておくと良いと何かで見た記憶があったのですが、蛇口を捻っても水は出ず。そうこうしている内に少しずつ日が昇ってきたので、冷蔵庫内の飲み物が飛び散って水びたしになった水回りの片付けを嫁に任せ、私は飲料水を確保しようと車で出掛けることに。しかし、家を出て自宅近くの林を見て愕然。昨日まで生い茂っていた木々がいくつも倒れ、所々で地面にもヒビが入っています。
危険そうに見える場所を迂回して道路に出ると、今度は信号機が1つたりとも点灯しておらず、かと言って交通整理もないので、大きな交差点では横からの車とお見合いしながら交錯する危険な状態に。この時、我が家だけじゃなく広範囲で停電しているのだと初めて知りました。コンビニには人が密集し、駐車場に収まりきらないほど多数の車が周辺にごった返しています。さらに車内テレビでニュースを見ると、ここから1kmも離れていない近所で家や車が埋まっている。そう、我が家は液状化のヘリ映像がテレビで何度も映っていた札幌市清田区。本当に大変なことが起きたのだと、遅まきながらに気付き始めました。
今回は北海道最大の苫東発電所に問題が発生し、道内全域が停電に。また、液状化した拙宅近隣地域では水道管の破裂により断水も。ライフラインと物流が止まり、自家発電装置があり営業できる数少ないガソリンスタンドには多数の車が数時間待ちの列を作っていました。断水により自宅のトイレも使えないので、嫁と私はタイミングを合わせて車で近所の公衆トイレへ行くように。地震以降、我々夫婦は余震の度にハッとしてしまいますし、飼い猫も揺れの恐怖を忘れられないのか丸2日ほど布団の中から出られず。地震が我が家に与えた精神的ダメージは思いのほか大きかったように感じます。
そんな切迫した状況も、電気の復旧と共に1週間ほどで少しずつ回復。その後も物流は少し滞りましたが、それでも日本の面積の22%を誇る広大な土地北海道が故に復旧作業も大変だったと思います。こんな時、パチンコ業界が真っ先に不謹慎狩りの標的にされるであろうことは、過去の例から見ても容易に想像できます。地震発生から1週間ほどは、被災したパチスロライターが業界にどう貢献できるかを考え、いろいろと現場の状況を発信してみることに。
今日はガソリンスタンドへの長蛇の列が目立ちます。
— ガリぞう (@garizo2) September 7, 2018
被災して思う事。
過度に不謹慎を意識されるよりは、ツイッター等で他愛なく交流して頂ける方が不安を和らげ支援の一つになり得ると感じますし、これこそが互いに罵倒し合うじゃない本来あるべきSNSの形なんじゃないかと思います。
また、ライフラインが復旧し始めてからは、何軒かのホール取材も敢行。身内贔屓かもしれませんが、今回の北海道のホールは優れた対応だったように思います。まず、ひまわりグループ(株式会社合田観光商事)は地震発生当日から店内の飲食物を提供。また、前写真のビッグスロット系列(株式会社三慶)は、電気が復旧し営業を再開してからも、客が希望する台以外の筐体電源をすべて落としておくという強力な節電対策が印象的でした。
肝心のホール状況は、輪番休業もあり厳しそうですが。確かにパチンコなどの娯楽は有事に必須な産業じゃないのかもしれませんが、断続的な余震やヘリの音で精神的に疲弊する被災者にとってはストレス解消にもなるのだと実感しています。しかし、それでもパチンコ・パチスロが非難の矛先になりやすい現状は変わっていません。何十年にもわたり業界全体が一丸となって取り組めなかった結果だと思います。今回のひまわりグループやビッグスロットのように、これからもパチンコ業界が協力し合ってイメージの回復に努めてくれたら嬉しいですし、微力ながら私も力になれたらと思います。
以上です。幸いこの時は漫画が竹書房からガイドワークスへの転換期で、約1年ほどの休載時期だったので原稿的には事なきを得ました。この当時の私も書いていますが、非難を受けやすい業界である自覚を多聞に持ってこれからも有事には真摯に対応していきたいです。
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