【保存版】ジャグ神ガリぞう調べによる6号機ジャグラー内部数値を大公開!【収支日記#107:2022年3月15日(火)~3月21日(月)】 (1/3)
今週の収支日記は3月15日~21日の1週間です。と言っても、この期間は実戦が少なく、あまり書ける記事がありません。雑感コラムが2本になってしまっていますがご了承ください。
3月17日:温故知新
今日は福岡県久留米市でAPチャンネル「プロスロ13」の収録でした……が、当番組は公開が半年ほど遅れているようです(理由は知りません)。そこで今回は、昔の私が個人ホームページで書いたコラムを今の私が読んでどう感じるのかについてお話していきます。温故知新じゃないですが、例え自己完結でも古きを訪ね新しきを知る事があるんじゃないでしょうか。
1999年10月:左利きの苦悩
私は左利きである。今では”サウスポー”なんていうかっこいい言葉もあるが、幼少時代はよくいじめられたりもした。当時は幼いながら一生懸命右手で箸を持つ練習をしたものだけど、我が両親は俗に言う「放任主義」という奴で、そういった慣習などにはあまり興味がなかったらしく、左利きも特に直させたりと言った事がなかったようだ。
小学校に入る頃からようやく鉛筆だけは右の持ち方を両親に教えてもらい、今では右主体で字が書けるようになったが、”3つ子の魂百まで”はまさに本当で、今でも左でも十分に字が書ける。「アドちゃん」(古すぎ?)のマネもできる!こう聞くと「とても便利じゃないか」と思われがちだし、友人も「サウスポーがかっこいい」とか言って、無理やり野球を左打ちに変えたりする人もいるが、左利きには左利きにしかわからない苦労がたくさんある。
・ラーメン屋
これはキツイ!何がキツイのか?と不思議な人も多いだろうが、横に並んで食事をする、カウンターの箸が逆だと、隣人と手がぶつかるのである。よって、出来る限り1番左端に座るという配慮でなんとか凌いでいるが...。回転寿司屋もしかり。
・バッティングセンター
どこのバッティングセンターに行っても、大抵は右打者用ばかりで、両打者用のコースは、あっても1つ。しかも右打者なのにその数少ない両打者用でずっと打ってる人とかもいるし!右専用のコースで打てばいいじゃないか.....。
等、あげたらキリがないほどたくさんある。スロットの場合は両手をつかって打てるので問題ないけど、右でしか出来ない事で社会の流れに反すような事があると、ちょっとツライ立場になる場合があるようだ。今から直す気もないのでしょうがないが、カウンター席の食事処で右隣が左利きの人だった場合は、手がぶつかってもあまりイヤな顔をせずに、お互いちょっとずつ席をずらすとか、広い心で双方の配慮を望みます...。
当然ながら50歳になった今も左利きのままなので、当時からの苦悩も理解できます。ただ、この記事を読む限り、この頃(26~27歳)は相手の改善を求める感情が強かったように見えます。最近の私の記事を読まれている方には伝わると思いますが、何かしらの壁に当たった時、今なら相手の改善を求める前に自らが対処します。弊害を感じる相手を変えるよりも自らが変わる方が圧倒的に手早くて楽だと学んだからです。
2000年5月:ナンチャッテ過保護
先日、嫁との些細な言い争いの中で、「キミの親は過保護だ」と言われた。本当にそうなのだろうか。確かに、たまに実家に帰ったりすると、
父「虫歯があるみたいだけど、ちゃんと歯医者には行ったのか?」
父「ヘルニアの腰は大丈夫か?」
父「メシはちゃんと食ってるのか?」
等と、いろいろ言われ、あげくのはてには、
父「車に気をつけろ。」
ときたもんだ。私は小学生ではない。今となれば、これが親の愛情かと理解できるし、ウレシかったりもするんだけど。
しかし幼少時代には、まがりなりにも自分の両親が「過保護」だとは、これっぽっちも思った事がない。まだ私が幼稚園に通っていた頃、家で寝ションベンをした。母親は、迷わず線香に火をつけて、私の尻にジュッ(死)あの熱さは、今でも忘れない。
小学生時代には、家の門限を1分でも破ると、家のカギがかかる。しかも扉は開くのにナゼかチェーンロック。「入れる!」と一瞬思わせといてこの落胆のスゴさは、本当に想像を絶する。
そんな両親もいつの日にか年をとって、既50を越えている。先日、実家に用事があり、1泊した時の事。母はもう寝床で、父との会話。
ガリ「でも、あの線香はないんじゃないの? 誰でも年とって寝ションベンする人もいないわけだし、そこまで躾けなくても。」
父「お前のお母さんは、お前の尻に線香をつけた後、自分の尻にもつけて、影で一緒に痛がっていたんだ。」
ガリ「.....。」
その時、はじめて「愛情」=「過保護」じゃない事を知りました。もっと崇高で私自身がまだ感じ取ることのできないモノなんだと思います。正直、まだ自分は親になれるだけの人間的な力量は持ち合わせていないのでしょうが、少しずつ自分の両親を手本に成長していきたいです。嫁には、当然「うちの両親は過保護じゃない!」と言い返してやりましたとさ。
まず、このコラムを書いた時の両親の年齢に私も追いついてしまったのだという寂しさを感じました。加えて、年齢は追いついても当時の両親の器量には全く届いていない情けなさも。幸か不幸か我が家は子宝に恵まれませんでしたが、その分これからは親孝行に努めていきたいと改めて思わされました。
2000年12月:焼き魚とパチスロ(※一部修正)
私と専門学校時代の友人4人で、毎年末は必ず忘年会を開いている。メンバーは、”オカルター・タケ”、”強打・サワ”、”ドル箱シェイカー・マコ”と、もう1人、スロットを一切やらない”ゾウ”。このサワとゾウは高校時代からの友人で小樽出身。なので、海産物系の味には、かなりウルサイ。
ある年の忘年会の時、居酒屋で「ホッケ(焼き魚)」を注文する私。しばらくして、超特大のホッケが到着。ムシャムシャと貪り、ホッケを食べ終えた。と、そこでゾウが一言。
ゾウ「うわっ、まだ食べれるところ、たくさんあるジャン! もったいねーよ!」
が、私の眼から見ると、もう食べ尽くしているような状況。そんな中、ゾウはホッケの原型を留めないところまで食べ尽くした。これを見て、ちょっと思った事がある。確かに、ゾウやサワ等の浜出身の者からしてみれば、私の魚の食べ方は、ある意味もったいないのかもしれない。でも、私は十分に味わって満足のいく食べ方をした。結果腹は満たされて気分も十分に満たされた。が、それを見て「もったいない」という人がいる。
もうここまで書けばわかるかもしれないけど「スロット」も一緒なんじゃねーかな、と。「アラベスク」をオジサンが打っていて、スイカ告知なのにスイカをこぼして打っているのを見て、「もったいない」と思う人は多数いるであろう。でも、それって本当に「もったいない」のかな。「アラベスク」のスイカ告知が出てストップボタンをバンバンバンと適当に押したら、スイカが揃わなかった。
このオジサン、かなりドキドキしてるかもしれません。「ハイってるかも!?」というドキドキ感。当然、本人は「もったいない」とは思っていません。ある意味、スイカをこぼした事で、このドキドキ感を買っているとも言えます。私のホッケもそうでした。見る人が見れば「もったいない食べ方」であっても、私にとっては全然満足のいく食でした。これって、「当人の価値観」の問題ですよね。その人がそれで良いと思っている以上、それはもったいない行為ではなくなります。それを、これみよがしに「ウワッ、オヤジ打ちだよ。もったいねーっ!」とか言ってしまってるそこの若者。私がゲンコツをおみまいしてやります(笑 以上、「自分の価値観を人に押し付けてはいけない」という、実体験からの教訓でした。
今、改めて読んでみると、賛同と矛盾が同時に見えてしまいます。価値観の押し付けは良くないと今でも思いますが、ゲンコツをお見舞いしてやりたいという感情は価値観の押し付けに見えます。ただ、こうした時期も経て「価値観を押し付けず、押し付けられても気にならない自分」に至っているので、これも成長と呼べるのかもしれません。
こうして自身の古い記事を読んでいると、当時の方が視点の鋭さを感じます。やはり人は年をとる度、守りに入るのでしょうか。それとも、無責任な立場だからこそ思いつく発想があるのでしょうか。思いつきで書き始めた原稿でしたが、色々と気付かされる記事になりました。
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