ガリぞうが4号機ジャグラーの立ち回りから現在にいかせるポイントを模索【収支日記#102:2022年2月8日(火)~2月14日(月)】 (3/3)
2月14日:思い出のホール~D店
そろそろ療養期間が明けるので、稼働準備の為にネットで各店舗の情報を検索していたら知人からLINEが。「〇〇が潰れるって噂、本当ですか?」パチスロ生活者仲間からそんな連絡を受けました。6号機への転換期だからなのか、お亡くなりになるホールが後を絶ちません。ネタ的には先週も試験的に書いていた「思い出のホール」が思いのほか筆が進んだので、2週連続で回顧してみます。
今回紹介するホールは、私の26年間のパチスロ生活で最も信頼し通い詰めた郊外の店舗です。通い始めた理由、通い詰めた理由、そして何故信頼できたのかについて、順を追ってお話していきます。
~D店との思い出~
初めてD店を訪れたのは、4号機の中期でした。アルゼコーナーに設置された「オオハナビ」・「ドンちゃん2」・「デカドンちゃん」が全台設定456になる「アルゼカーニバル」というイベントがあると聞き、自宅から30kmほど車を走らせました。店内の様子は昔ながらの小規模ホールながら、設定状況が良かったからか、割と鉄火場風の印象を抱いていました。「楽にツモれる」第一印象は、そんな安易なモノでした。
その後、時代は流れて5号機へ。4号機末期から5号機初期にかけ没頭していたネトゲから少しずつ復帰し始めたリハビリ店がこのD店でした。設置機種で言えば、エヴァまごころ・山佐バイオ・2027辺りです。4号機時代の「楽にツモれる」という記憶を頼りにD店で昨今のパチスロの個人勉強会をしていました。
そんなとある日。D店からの朝イチメールにデカデカと「22周年!」と書かれていました。ありがちではありますが、楽にツモれるD店なら22番台が高設定かもしれないと思い、朝イチからバラエティコーナーに1台だけ設置されている22番台のガッチャマンを打ち始めてみました。すると……。
※この日に撮った写真がガラケーに残っていました。
揃いまくる青7に設定6を確信。(青7同色揃い:設定1=1/6554・設定6=1/1311)そのままブン回し続け、閉店時には自身5号機初の万枚を突破。
しかし、考えてみてください。ガッチャマンの出玉率は設定6で117%超で、設定推測も簡単な部類です。そんなバラエティに1台だけ設置のガッチャに台番号の示唆付きで設定6を使うなど考えられるでしょうか。確かに周年と言えどガラガラな店で、集客もさほど見込めていなかったようです。この日に初めて「あぁ、D店は楽にツモれると言うよりも、安易な発想で打ちに来る顔馴染みの常連客達に満遍なくツモらせようとしてくれているんだ。」と気付きました。「常連を大事にする」を地で行っている店なんだなと。
ちなみに、翌年の23周年記念日にもガッチャ狙いで開店15分前に行ってみたら、1人だけいた先客が開店と同時に真っ直ぐ22番台のガッチャを確保していました。(当時のD店の23番台はベニア板でした)偶然かなと思いつつ私はエヴァまごで推定4をツモって閉店まで。しかし、朝イチからガッチャを打っていた方が夕方頃に私のところへ来て、「いつも読んでます頑張ってください」と差し入れでドリンクを置いていきました。どうやらガッチャは6じゃなかったようで。確かにガッチャの話は約1年前にコラムで書きましたが、自分が発信した情報によって台を先に取られてしまうこともあること、そして私は店がバレないように記事を書いて来たつもりでも分かる人には分かるんだという怖さを学びました。
私の漫画にも良く登場したシンジ君との出会いもこのD店でした。D店で仲良くなったシンジ君との会話で驚いたのは、閉店後や翌日以降に主任が常連さん相手に限り設定値の答え合わせをしてくれるというモノでした。これも常連さんを根強くする秘訣だったのでしょうか。どうやら彼は私がD店に通っている事を仲間から聞きつけたようで、私の素性を元々知っていたようです。
そんなとある日、当時はパチスロを打っていた我が嫁と共にD店へ行き、私は「青ドン極」、嫁は「初代バジリスク」を打ちました。一応どちらも狙い台でしたが、嫁の台は設定推測を任せた以上、さほど押し引きの判断の精度に期待できません。せめて私くらいはと慎重に推測していくと、かなりの自信で設定6と言い切れる内容に。ただ、そのまま閉店まで打ち8500Gほど回すも、BIGが当たらず+600枚程度で終わってしまいました。
嫁の初代バジは相変わらずのヒキ強でエンディングに2度も到達させ、得られた出玉は9000枚。2人とも出玉を流し、閉店後に交換所で主任から聞いた我々の台の設定値に驚きを隠せませんでした。私の「青ドン極」は設定6で、嫁の「初代バジリスク」は設定2だそうで。9000枚も出たのだから設定6と言っておけば印象も格段に良いだろうに、それを設定2と言ってしまうところに「嘘のつけない店」という印象を抱きました。これは今の私個人のパチスロライターとしてのスタンスにも言える事ですが、自身の良いところのみならず、短所も見せる事で信用を培えると思っています。
このD店では4号機時代のアルゼカーニバルからの派生か、5号機時代になると「ライトオンカーニバル」というイベントを始めていました。毎月1日・2日の月初の2日間はジャグラーが全台456というイベントです。例によって閉店後に配分を聞くと、八割が設定4で残り1割ずつで設定5と6が使われている程度なので激アマと言う訳でもないのですが、他にあてがない日は通うようにしていました。
このライトオンカーニバルはそれなりに盛り上がっていたのですが、やがて訪れる広告規制で一切の告知が撤廃され、集客も途絶えるようになってしまいました。しかし、昔からD店を信用している常連達は、一切告知がなくとも毎月1日・2日はジャグラー狙いで通っていました。かく言う私も月初の2日間のデータを取り、「今でも全456」という確信を得ながら通い続けていました。
しかし、日に日に客足が途絶えていくD店。このままだと潰れてしまうと感じた私は、漫画雑誌付録のDVD映像で宣伝してみる事にしました。基本的に私は自力で高設定をツモれるスキル以外にパチスロライターとしての能力がない為、そのスキルを疑われる可能性のある案件を極力お断りしてきました。最近あった依頼で言えば、某ホール法人運営のチャンネルは店とのつながりが強く見えるので全てお断りさせてもらっていますし、昔から今に至るまで自身が通う可能性のある北海道のホールでは来店や収録を一切やりませんでした。
そんな折、当時漫画を連載していた「スーパーパチスロ777(竹書房)」が紙離れによる売り上げの低下で厳しいと聞き、ならば私の地元の稼働にカメラを入れる企画をDVDに入れて購買意欲を狙ってみてはどうかと提案しました。今こそ前述の私のマイルールを解禁し、D店と漫画誌を守りたいと感じたのです。
※当然ながら店からの広告料は0円です。
しかし、そんな広告も空しく、今から5年前にD店は閉店。
5.9号機になっても、みなし機として初代アイムジャグラーEXを30台も置いていたので、6号機への入替がキツかったのかもしれません。当時ちょうど北海道へ来られていた北電子のK崎さんをD店が亡くなる半年前に「私のマイホです」と連れて行った際、現存する初代アイムを見てK崎さんが喜んでいたのを覚えています。
D店が閉店して約半年後。近くを通った際、何となく「遠回りになるけどD店を拝んでいこう」と思い車で側を走らせると、ちょうどその日は取り壊し日だったようで。これが虫の知らせというやつなのでしょうか。
写真を数枚撮り、手を合わせておきました。発信力のある者として散々お世話になったD店にもっと何かできたんじゃないかという後悔もありますが、こうして最期を見届けた者の1人として写真に収め記事に遺す事で弔いとしておきたいです。
D店へ。いつか私が引退した時、「最も好きだった店舗は?」と聞かれたら、まず間違いなくD店でしたと答えるハズです。お疲れ様でした。
以上です。「回顧録」・「暴露話」・「思い出のホール」の3本立てでお送りしましたが如何だったでしょうか。気に入って頂けたらコメント欄でお知らせください。来週からは療養期間も明けて実戦記の再開です。ご期待ください。
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