ガリぞうにとってジャグラーとは?出会いから20年以上経った現在の心境を語る!【収支日記#146:2022年12月13日(火)~12月19日(月)】 (2/3)

ガリぞうにとってジャグラーとは?出会いから20年以上経った現在の心境を語る!【収支日記#146:2022年12月13日(火)~12月19日(月)】 eyecatch-image

12月18日:ジャグラーと私

 

今日はこんなスケジュールでした。

 

日中 福岡→東京へ
20:00~21:00 きむちゃんねる・クローズドリモートジャグオフ
21:30~23:00 ガリぞうch・リモートジャグオフ

 

きむちゃんねるでは、10人程度のユーザーさん達とZoomでつながり、ジャグラー絡みのお話をするという企画でした。ライトな質問からヘビーな相談まで頂き、バラエティに富んでいて楽しかったです。その後、自身のYouTubeアカウントでゲストに水樹あやさんをお迎えしてのリモートジャグオフでした。

 

今ではジャグラー関係の企画に参加する事も多くなり、そういうキャラになった(orなってしまった)自覚もありますが、パチスロライターとしてお仕事を始めた当初からそうだった訳じゃありませんでした。私がホームページで最初に作った攻略サイトはクランキーコンテストがネタでしたし、パチスロライターとしての初寄稿は新台のワードオブライツを紹介した記事でした。パチスロライター黎明期の私が世に公開したオリジナルの技「スイカ付き赤7ハズシ」や「限定判別プレイ」(詳細は割愛)も、全てはジャグラーと全く無縁のモノばかりでした。では、いつから私はジャグラーおじさんになった(orなってしまった)のか。この機会に振り返ってみたいと思います。

 

最初の出会いはホームページの読者さんからの紹介でした。「光るだけでボーナスが察知できるんすよっ!」そんな入り口だった記憶があります。当時の私はコンテのレアなリーチ目や深い攻略技を紹介していた事もあり、そんな人にライトユーザー向けのジャグラーを打たせたらどうなるんだろうかという興味があったようです。その読者さんは幸い札幌の方だったので、連れスロと称して一緒にジャグラーを打ちに行ってみました。緑色の筐体「ジャグラーV」にはMAXBETがついておらず、操作性の第一印象は正直あまり良くありませんでした。いくらか回していると、左下のGOGO!が淡く点灯している事に気付きました。
実はもっと前から点いていたのかもしれません。私の記憶が確かなら、まだ当時は「ペカッ」という表現が出回っておらず、一緒に打っていた読者さんはコレを「通電」と呼んでいました。

 

確かに「通電すればボーナス」という分かりやすさはありましたが、当時の私は今よりも遥かに攻略意識が高かった為、「この簡単(と思われている)機種も攻略したい」と思い始めました。まずは通常時から。減算値は全設定共通104で設定判別には使えないようなので、まずは通常時の小役回収手順から考えます。全ての小役を取るには左に何ヵ所か狙えるポイントがありますが、取りこぼす可能性のある3種類の小役の成立確率と払い出し枚数を掛けて優先順位と時間効率を考えた結果、左「7・ベル・ブドウ」ビタから右適当押しでベルやピエロがハサミテンパイしたら中にも狙う打ち方が最も効果的と判断。また、リプレイハズシにおいても、その配列と各小役の成立確率を考えると、逆押しよりも中押しの方がスピーディに打てる事が分かりました。そして、通常時の小役状態についても興味があったので調べてみました。計算すると、小役高確率状態時にはコイン持ちが良いどころか1Gあたり0.1枚増える事が分かりました。だとしたら、通常時を適当押ししている方が捨てた台なら小役高確率状態になっている可能性が高いですから、その台を全小役回収打法で打ち、低確率になったら次の台に移動を繰り返せばメッチャ甘いんじゃないかと仮説を立て、その通りに動いてみた事もありました。これに関してはそれなりの成果を得られたものの、実際には小役低確率状態もそれなりに触ってしまう事になるようで、目覚ましいほどの成績はあがらず。

 

ただ、当時は時代の流れが技術介入機全盛期から大量獲得機&爆裂AT機の人気に火がつき始め、ジャグラーはシマの隅に追いやられている状態でした。北電子の業績も業界全体で第7位前後だったハズです。この競争率の低さが私の好みに刺さりました。元々混雑店が苦手だった私は、ジャグラーで勝つ為の努力に邁進し始めました。2001年に依頼を頂いた畠山耕太郎先生が描く読み切り漫画「BET ON」でも、漫画の題材こそ人気機種でしたが、添付のコラムにはジャグラーの記事を書いた記憶があります。その後、同じく畠山耕太郎先生が描く連載漫画「プロスロ-パチスロで勝つ為の王道-」でも、第1話・第2話共にジャグラーを題材にしました。
※2003年から始まった「プロスロ-パチスロで勝つ為の王道-(竹書房)」は、ガイドワークスに舞台を変え、「プロスロNEXT」として今も連載中です。この漫画の初稿を読んで頂いたからなのかは知りませんが、2005年には北電子公式サイト「キタックジャグラーワールド(現・キタックジャグラーランド)」で週1のコラム執筆の依頼も頂きました。
※キタックのコラムも、18年経った今も連載中です。週1でジャグラーのコラムを書き続けて18年ですから、そりゃ引き出しも多くなります。私が動画等で話しているジャグラー情報のほとんどはキタックジャグラーワールド&ランドで書いた事のある話ばかりです。

 

話を戻して。4号機後期になると、昼前・昼過ぎ・夕方と3回に分けて設定456を発表する店で朝イチに変判で上げ台の目星をつけて粘るという立ち回りにより、高い精度で高設定をツモってブン回すルーチンが半年ほど続きました。1ヵ月のほとんど(平均360時間)をジャグラー稼働に費やす生活が半年続き、さすがにルーチンが過ぎて精神を病んだのか、後にうつ病を発症するほどパチスロが嫌いになった時期もありました。

 

その後、時代は5号機へ。5号機アイムの発表会にはキタック枠として呼んで頂いたものの、当時の私はうつ病明けのネットゲーム廃人に陥っていて、正直ジャグラーどころかパチスロ自体をあまり打てていませんでした。そんな中、5号機で登場した初代アイムは覇権を取っていきました。私の地道な活動が実を結んだとおだててくれる方もいましたが、謙遜じゃ一切なく1ミリたりとも関係なかったと思います。単純にユーザーが抱えていた5号機への不安を払拭したメーカーの功績という一点でしょう。
ネトゲ廃人からパチスロの打ち手に戻るリハビリにもジャグラーは向いていました。難しい事を一切知らずとも打てると思わせてくれるその仕様に私は助けられました。「一旦パチスロを辞めた人が戻ってきやすい機種ランキング」で言えば間違いなく1位なんじゃないでしょうか。少なくとも、それに近い経験がある私にはそう感じます。

 

こうして時代の流れを思い返すと、うつ病やネトゲ廃人になっていた私を見捨てずにいてくれたクライアントさんや読者さん・視聴者さんのおかげで今があるんだなと痛感します。その恩を返さねばと考え、竹書房や北電子に対し、より良い漫画やコラムの執筆に邁進できた事も今の私を培ってくれたように思います。

 

「あなたにとってジャグラーとは」というキタック東海販売が進めていたツイッターの企画では以下のようにツイートしましたが、嘘偽りない本音でした。

 

 

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