ガリぞうが出会い、そしてパチスロ生活から巣立っていった人たちの現在の職業とは?【収支日記#151:2023年1月17日(火)~1月23日(月)】 (2/3)

ガリぞうが出会い、そしてパチスロ生活から巣立っていった人たちの現在の職業とは?【収支日記#151:2023年1月17日(火)~1月23日(月)】 eyecatch-image

1月20日:パチスロ生活を礎にした方達

 

今日はヒロシ・ヤングさんがMCを務める衛星放送パチテレ759chの番組「ノリ打ちでポン」の収録でした。実に10年以上ぶりの出演で最初は少々緊張しましたが、ヤングさんのおかげで終始楽しく過ごさせて頂きました。

 

ヤングさんとの出会いは2011年発刊の彼の著書「パチスロで生きていく技術」でした。それ以前にも挨拶程度の面識はありましたし、当然ながらもっと昔から個人的に知ってはいたのですが、実際に会って一緒にお仕事をさせてもらったのはこの書籍の件が初になります。この本はヤングさん(+末井昭さん)がパチスロにどっぷりな人生を歩んできた5人に取材し、見聞きした話をヤングさんの主観も交えながら綴られた著書です。取材を受けていた方達は、今でも第一線でご活躍されている、しのけんさん・ワサビさん・元々あまり表に出られていないお2人、そして私の計5人でした。

 

ヤングさんが何を目指しこのような著書を出そうとされたのか当時は分かりませんでしたが、今なら理解できます。こうしてヤングさんのように取材した結果を世間に発信する使命感のようなモノが私にも芽生え始めたのは、北海道胆振東部自身だったと思います。当時の大地震により北海道の多くが長期間停電になり、その後も復興期間がかかり、この業界も少なからず痛手を被りました。被災地に住むパチスロライターにできる事は何かを考え、被害状況や関係者への取材を何度か試み、業界紙でいくつか記事を書かせて頂いたりもしました。その後、コロナ禍初期において使命感が明確になり、ホール経営者に取材した記事をななプレスさんで書かせてもらったのも記憶に新しいです。

 

>>【ななプレス】営業自粛店舗を直撃取材

 

そこで今回は、私が直接会って話した事のあるパチスロ生活者達が巣立っていった職業をいくつかご紹介します。パチスロ生活を礎にどんな道へと進んでいったのでしょうか。

 

 

Yさん


彼は私よりも1つ2つ年上で、私の動画や漫画よりもさらに前、ホームページが入り口でパチスロ生活者になられたようです。元々純真な方のようで、自身で曲解する事なくオカルト一切無しの純血なパチスロ生活者として、地元仙台から関東圏への長期遠征で数年頑張っていました。そんな彼とオフ会で何度か会っていたのですが、ある日を境に連絡が取れなくなりました。そして、音信不通になった1年後。オフ会の同胞から「Yさん、お店を出したみたいです」と一報が入りました。話を聞くと、パチスロ生活で貯めたお金を元手に、地元の仙台へ戻りキーマカレー屋さんを営み始めたんだとか。

 

実際に行ってみると、忖度抜きで本当に美味しく、近所にあったら週2で通うだろうレベルのキーマカレーでした。さらには、カウンター席の端に座られている女性が結婚相手と知ってビックリ。たった数年で稼働による貯蓄から、修行・開業・結婚と、パチスロ生活を礎に人生の階段を一気に駆け上がった印象でした。当時はあまりにも嬉しくて、連載していた漫画のネタに使わせて頂いたりもしました。


>>【漫画】プロスロ~パチスロで勝つための王道~第5回


長年お世話になっている漫画家の畠山耕太郎先生も仙台在住だったので、毎年挨拶に伺いがてらYさんのキーマカレー屋さんにも寄っていましたが、コロナ禍以降はご無沙汰になっています。今も営業しているようなので、近日中にまた伺いたいです。

 

>>【食べログ】Yさんのキーマカレー屋さん

 

 

Tさん


TさんはYさんと同じ地域で情報共有をしあいながら稼いでいた読者さんです。年齢は私よりも上で、今ではもう少しで還暦と思われます。Yさんは人付き合いが不器用でしたが、Tさんは誰とでも上手に話せて確率感覚もフラットで、どんな場所でも上手に立ち回れる人間力の高い方でした。彼ともホームページのオフ会で顔を合わせていたのですが、いつの日からか音信不通に。ところが、とある日。別の知人から「Tさんを囲むオフ会をしよう」と連絡がありました。何があったのか気になり、たまたま東京へ出る機会もあったので顔を出すと、どうやらTさんのお父さんが亡くなられて遺産相続で受け継いだ家があるので遊びに来ないかというお話でした。何の話か全く見えずに先を促すと、どうやらTさんのお父さんは誰もが知る大企業の社長だったようで。この業界の企業を従業員数で推し測るなら、サミーでも830人位ですが、その企業は10万人を超えるくらいの大企業で、そのカミングアウトに驚きの声しかありませんでした。

 

実際に受け継いだ自宅へ行ってみたのですが、そこは別荘ながら3階建ての大豪邸で、エレベーターや暖炉がある家を肉眼で見たのは初めてでした。ただ、どうやら父とは性格が合わず、久しく顔も合わせていなかったようで。長年パチスロ生活を続けていた理由もそこにあったのかもしれません。今はトレーダーとして頑張られているようなので、久しぶりに「持っていた者」の話をまた聞きに行きたいです。

 

 

Hさん

 

Yさんはパチスロ生活を「稼ぎの元手」として考えていたとするならば、Hさんは「自身の能力をパチスロに」という逆のパターンでした。今から24年前。私のホームページを良く読んでくださっていたHさんは、関東圏でバンドマンとして活動しながらパチスロ生活を続けていました。コピーバンドではなく、自ら作詞作曲も手掛ける本格的なインディーズバンドで、私も一度だけライブに顔を出した事があります。当時から曲に関しては真面目で、長年エレクトーンを習っていた私でも耳に余るトークをお酒の席で良く聞いていました。そんな彼ともしばらく音信不通だったのですが、久しぶりに顔を合わせたのは他の方々と同様オフ会でした。懐かしい顔ではあるものの、Hさんから差し出された名刺には見慣れた企業のロゴが描かれていました。どうやらHさんはパチスロメーカーに就職し、その中でも開発で曲を作っているようで。
聞けば私でも良く知る機種達のBGMを手掛けているらしく。元々持っていた能力をパチスロ生活の延長線上に活かせた成功例だと感じました。

 

人に歴史ありと言いますが、彼らは本当に三者三様で、話を聞いているだけでも楽しくなります。コロナ禍から再び疎遠になっていますが、そろそろ再び懐かしい面々と顔を突き合わせて今は何をしているのか取材してみたい気持ちです。

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