パチンコが好きではなくなってしまったかもしれないのは「勝つことをあきらめた」から!?大風邪を喰らった大崎一万発が考える「趣味」と「娯楽」の違いとは!?

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大崎一万発 プロフィール

「パチンコ必勝ガイド」で編集長となった後、2003年にフリーに転身。
その後も編集者、ライターとしてパチンコ媒体に携わりつつも、タレントとして多数の地上波やWeb番組へ出演。また、パチンコ関連のアドバイザーやプランナーとしても活動中。

日々パチンコで脳をやられているせいだろう、ナントカは風邪を引かない、のことわざ通り、流行性の感冒やインフルエンザとはほとんど無縁で過ごしてきたのだが、何を油断したのか数年ぶりに大風邪を喰らい3日間も寝込んでしまった。いくつか仕事を飛ばしてしまったことを関係者(当欄担当者含む。すみません…)に詫びつつも、意図せずもたらされたパチンコとは無縁の貴重な安息時間をかみしめる高熱明けの朝である。


これほど具合が悪い時にパチンコなど打ちたくはない。クソうるさくて空気の悪いホールには足を運びたくないし、そもそもパチンコに関係する七面倒くさいあれこれを考えたくもない。当たり前だろうと共感してくれる向きも少なくはないとは思うが、逆にそれでいいのかと己の立場を自問せざるを得ない状況でもある。オマエはパチンコが好きではないのか、と。


会社をバックレても、家族にウソをついても、天災の最中でも打ちたい連中が山ほどいるのがパチンコである。風邪を引いたぐらいで考えたくもなくなる? その程度の覚悟で、よくもまあプレイヤーの代表ヅラで意見してられるよなと突っ込まれたら、返す言葉はない。いや、体調不良で妙に自虐的になっているわけでもないのだ。僕はランニングを趣味としているのだが、ベッドから垣間見る秋晴れの好天に、こんな日和に走れない自身の不摂生に呪詛の言葉を吐く。出れやしないのに、届いたばかりの秋冬ウェアに袖を通してみたりする。専門誌を眺めて、来月走るフルマラソンのイメージトレーニングもする。

 

ランニングだけじゃない。飲みに行く予定だったキャバクラの子が、他の客にアフターに連れ出されていないか気が気ではない。キーマカレーを作る予定で買っておいた挽肉をムダにしないメニューを家族と相談しなきゃ。飼っているトカゲの餌のコオロギが尽きたのだが嫁に頼むと嫌がられるしいつ買いに行こう……。


身体の自由が利かない分、その他の「好き」は気になって仕方がないのだ。もちろん僕はパチンコ(とその周辺カルチャー)が好きだったからこそ趣味が高じて仕事にした。今でもランニングより熱帯魚の世話よりはるかに長い時間を費やしているし、(仕事だから当たり前だが)関わり方も濃密である。自ら選んだ境遇に満たされた毎日を送っているし、だから仕事の面からパチンコを考えても、ストレスを感じることなどほとんどない。なのに、である。身体が弱った時には本音が表れるという。てことは、実のところパチンコが好きではない、あるいはなくなってしまったのではないかと自己否定にすらつながりかねない恐ろしい考えが頭をもたげるのだ。


いや、寝ても覚めても、家族や学校をうっちゃってもパチンコに没頭していた時期は確かにあった。パチンコを毎日打ってたくて新卒での企業内定をすべて断ったのだから半端な心持ちではなかった。そしてパチンコ必勝ガイド誌面でその気持ちを読者に訴える業務に邁進している時も、激務で週に1、2回しか家に帰れず、ストレスの余り円形脱毛症や胃潰瘍を患いながら、これで死ねるのなら本望だとむしろ幸せとすら感じていた。その頃の自分と何が変わってしまったのだろう?


まだボンヤリしている頭で考えるにそれは、パチンコの現実を知りすぎてしまったことが理由ではないか。もっとストレートに言うなら、「勝つこと」をあきらめてしまったせいではないのか。パチンコは(スロットも同じだが)確かに面白いし、揺るぎない厚みのあるエンターテインメントだからこそこれだけの参加人口を誇っている。しかし、参加者のモチベーションのほとんどすべては「勝ちたい」に発している……はずである。楽してお金を増やしたい、うまくやればトクする(こともある)から台も店も選んで遊ぶ。ネットや雑誌で情報を仕入れて勉強もする。が、公私ともにそこを追求し続けてきた僕自身が、ホール営業の現実であったり、しかるべく勝ちを重ねることのしんどさであったり、結果としてプレイヤー不在にならざるを得ない業界構造の限界であったりを目の当たりにし、またロマンや希望を何度となく打ち砕かれる経験の中、たどり着いた結論は、「テキトーに運任せで打つのが一番楽しい」。設定判別に悩もうが店員の対応に憤りを覚えようが結果に大差はない。いやもちろんちゃんと打てば差はつく。が、あくまで遊技の範疇のことであり、それを納得ずくの誤差として飲み込める余裕のある大人であるなら、パチンコはまあええかとなんとなく楽しむ、ある意味で消極的な娯楽としてゴールに到達してしまう。真剣に打っていた若い頃、セオリー無視で自由に立ち回る年配客を「オヤジ打ち」と揶揄したものだが、キャリアの長いプレイヤーがそこにたどり着くのはおそらく必然だし、「好き」「楽しい」の意味も変化して当たり前なのであろう。


僕がランニングを好きな理由は、記録のためでも健康作りでもない。単純に走ることが楽しいからである。一層の楽しいを求めてキツいスピード走もするし、真冬の心が折れそうな時でも走りに出る。自発的意志だけに支えられた純粋なファンランナーだからこそ、趣味として積極的に取り組んでいる。対してパチンコは、今や僕にとって(仕事の側面を抜きにすれば)趣味ではなく娯楽のひとつである。パチンコは賭け事としてお金のやりとりとは不可分のものだから、趣味として追求するにはどうしてもゼニカネとの関わりがつきまとう。しかしそこを捨て去った解脱者にとっては、ストイックさとは無縁の、ふんわりとした楽しみを提供してくれる娯楽として、また新たな関係性が築かれていくのではないか……。


これまで僕は、「趣味」と「娯楽」をほとんど同義として無意識にパチンコに適用してきたが、こう考えるとその意味合いはまるで違うものである(僕にとってランニングが娯楽ならば、真冬のスピード走など一切やらないだろう)。多くのプレイヤーは趣味としてパチンコにハマり、趣味たる原動力としての勝ち負けに翻弄され、止めたり興味を失っていく。僕も同じ入り口、同じ過程ではあったが、幸か不幸か仕事としても関わってきたせいで、この道を抜けることはできなかった。そして50を過ぎた今、若かりし頃にバカにしてきたオヤジ打ちを、むしろドヤ顔でやれるぐらいにまでには達観したのである。趣味から娯楽へ……望んだわけではないが自然と関わり方が変わってきている。そしてそれは、決して「好きではなくなった」とは違う変化のはず、である。


そういえば業界側は、自らのウリを娯楽ということはあっても、趣味だと惹句を掲げたことはない。「そのぐらい」がちょうどいいんだよと、遙か昔からメッセージを発していたのだ。勝手にアツくなっていたのは僕の方だった。積極的な趣味としてのパチンコを何十年も続けるには、おそらく相当の資質が必要だろう(世界中で一番パチンコが好きだと胸を張っていた僕ですら、30年を経て転向したのだから)。いいか悪いかは別として、ディスクアップですらオヤジ打ちを厭わない境地に達したのである。せっかくこっちに興味を持ってくれたプレイヤーが離脱しないよう、自らの経験を元に、娯楽としてのパチンコの楽しさをお伝えできるようになりたい……のだが、そこまで枯れるにはあと何年必要だろうか。

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