ガリぞうが生誕から18歳までの「青春時代」を振り返る【収支日記#61:2021年5月25日(火)~5月31日(月)】 (3/3)
5月30日:ガリぞう選手の生い立ち
今月はこれまで私なりに満足な稼働ができたと感じますし、来週からは再び長期出張が始まるので、それまでの間は夫婦でのんびり過ごそうと思い、2泊3日で北海道内の小旅行へ。我々夫婦の共通の趣味である温泉巡りを兼ね、十勝川温泉が有名で私の出身地でもある帯広市へ。
私の父親も母方の祖父も警察官だった事は過去の収支日記でもお伝えした通りです。警察という職業は転勤が多く、当然ながら同居の私も小学校だけで1~2年・3~4年・5~6年と三度も転校しています。そんな転々とした学生時代でしたが、今は私も両親も道央に根を生やしています。人は誰しもそうなのかもしれませんが、漏れなく私も小5から高3までの青春時代を過ごした帯広という土地への思い入れが強いようで、毎年のように温泉旅行がてら足を運んでいます。
帯広の最たるオススメは、私が学生の頃から存在しているインデアンカレー。私も全国に出張で飛び回り様々なご当地カレーを食べてきましたが、ファーストフード的なお手頃価格のカレーではインデアンが日本で一番美味いと思ってます。あの脳に直接訴えかけるような強烈に食欲をそそる香辛料の香りはファーストフードの域を脱しています。
青春時代を過ごした帯広の話も出たので、今回は私の生い立ちについてお話ししていきます。父は厳格な警察官で、母方の祖父も天皇から勲章を貰うような警官だったのに、何故に私はパチスロで生活するような駄目人間になってしまったのか。その過程(?)を探っていきます。
生誕~
北海道の苫小牧という街で生まれたらしいです。3歳くらいまでを過ごしたようですが、当然ながら記憶はありません。
4歳~
父が砂川市へ転勤になり、私も砂川の幼稚園へ通うように。父は電子機器が大好きで、壊れた私の小役カウンタも毎度のように直してくれます。(私の古びた青のカンタ君も幾度となく父が直してくれているおかげで未だに現役で使えています。)そんな父は8ミリ(今で言うビデオカメラ)で私を撮っていたようで、当時の映像を見るととにかく当時の私はわんぱくだったようで、じっとしている画が1つもありません。
また、この頃にテレビで流れていた「11PM」という番組のオープニングテーマソングを聞く度に号泣する私を見て「音楽の才能がある?」と思った母は私をピアノ学校に通わせ始めました。あまりピアノには興味を示さなかったようで、その後はエレクトーンを習うようになりました。
当時の私には二重苦だった記憶があります。今の時代の方達には伝わりにくいかもしれませんが、これがイジメの対象になるのです。ただでさえ私は左利きで、周囲と違う利き手を「ぎっちょ」と揶揄される事も多かったのに、男なのにエレクトーンを習っている私に対し「女だ女だ」という卑下も少なくありませんでした。この頃に受けたイジメの慣れが今のパチスロ生活者という世間からの卑下に対する免疫を形成したのかもしれません。
尚、間もなくピンクレディーの「サウスポー」が大流行して左利きはイジメ対象から憧れに、エレクトーンも上手になって歌謡曲が弾けるようになってくると「カッコイイ」に変わっていきました。
小1~
わんぱくぶりは相変わらずで、小学校からの下校途中にあった駄菓子屋さんで両親からもらったお小遣いの10円(だったと思う)を使ってインベーダーゲームで遊んでいました。また、駄菓子屋ではクジ引き系のお菓子が好みだったと記憶しています。ゲームとクジ引き……当時から暗にパチスロのセンスを磨いていたのかもしれません。
小3~
音更という小さな町の小学校に2年ほど通っていました。この頃は我ながら秀才な少年だったと記憶しています。
友人に連れられ通い始めた珠算教室でも友人を追い越して一気に2級まで進んだり。大人でも不合格者が出るようなアマチュア無線の電話級(今で言う4級)の国家試験に小4で合格して地方新聞に掲載されてみたり。
また、この頃はクラスで何かを流行させる「発明家」と学級通信に書かれていました。長い紙に道を描いて2本の割り箸に巻き付け、底を切り抜いたティッシュボックスに取り付けて簡易的なドライブゲームを作ってクラスメイト達に遊んでもらったり。親戚が家に置いていった不要な伝票の裏の白紙部分が両面になるようホッチキスで二つ折りにし、そこに絵本を描く簡易書籍を流行らせてクラスメイト達を豆作家にしてみたり。折り紙でカエルを作り、どっちが遠くまで飛べるかを競うゲームをクラスに持ち込むと、他クラスにまで派生するほど校内で流行したり。当時から面白いと思える事や興味を惹く事を考えて広めるのが好きだったようです。
その将来、「ピエロの睨み」的な造語やハナビ・バーサスのRTリプ判、ひいてはブドウシミュ等を学校どころか日本中の打ち手に広める礎がここにあったのかもしれません。
小5~
帯広市に引っ越してからは少しずつわんぱくさが落ち着いてきた記憶があります。それもそのハズ、両親からのクリスマスプレゼントで「ぴゅう太」を買ってもらって以降、プログラミングを覚え始めました。日本語BASICという簡易的なインタープリター言語ながら、プログラミングの流れを独学で覚えていきました。その後、FM-new7という富士通のパソコンに移行し、F-BASICを本格的に勉強。マイコンBASICマガジンでサブルーチンやデータ読み取り等のテクニックを学びました。
学業も順調で、内申点も帯広で最も優秀な高校に入れる成績を残せていました。また、部活はバスケット部で、補欠ながら毎日の激しい練習にも頑張っていました。
また、中学1年にはヤマハエレクトーンの6級に合格し、5級のレッスンを受けるようになりました。(エレクトーンは5級で指導者資格を持てます。)5級を教えられる指導者は帯広に1人しかおらず、厳しいレッスンが毎週続きました。小学校高学年から中1までは本当に優等生だったと思います。この頃は将来を「文学も達者なキーボード奏者の仕事」に就いているのだろうと朧げに考えていたように思います。
しかし、中2の頃。友人からのアドバイスで「麻雀」という遊びを覚えてしまいます。麻雀をやっているだけで毎日が楽しく、勉強や部活・エレクトーンは二の次になっていきます。やがてエレクトーンの先生から「これ以上のレッスンを続けても男の人は潰しが効かないから本気じゃないなら意味がない」と厳しい一言を頂きます。確かにエレクトーンの先生名簿にも5級保持者の写真にも男性の姿はありません。だとしたら麻雀をやっていた方が楽しいと考え、これまで培ってきた準先生的スキルをあっさり捨てる事に。何故か合わせてバスケ部も辞める事になりました。私の挫折の始まりです。
高1~
麻雀ばかりやっていて学業を疎かにした私は、かなりランクを落とした高校へ通う事になりました。麻雀を覚えて以降も唯一続いていたパソコン操作はPC-8801MHに変わり、N88-BASICで曲のプログラムを組んではポプコムという雑誌に投稿していたのを覚えています。一介のパチスロ生活者がブドウシミュの発案だけじゃなく実際に具現化できたのも、パソコンに精通していた当時のスキルがあったからだと思います。
そして高校を卒業する頃にパチンコと出会ってしまいます。友人の勧めでマジックカーペットやドッキリマンSPという羽根物を打ち、その遊技性の虜になっていきました。当然ながら大学には不合格。浪人生活が始まります。
18歳~
警察官の子供のみが入居可能な、風呂トイレは共同ですが2食付きで家賃16,000円という格安の下宿に住みながら予備校へ通う事に。この頃、近所のパチンコ屋にある「魔界組」という羽根物で役物に入りさえすれば高確率でVに入るクセ良しの台を発見。しかも大当たり中はキョンシーの手が適度に邪魔をして即Vを防いでくれるので、ある程度の出玉も見込めました。半日ほど打つと4000発の定量に到達するので、1万円弱の稼ぎになります。当然ながらパチンコが上手な気分になり、必勝ガイドで田山幸憲さんの記事も読むようになりました。
しかし、実家への帰省で1週間ほど日を空けると、私の魔界組は1チャッカーの袴釘が素人目で見てもハッキリ分かるくらいにグチャグチャになっていました。仲良しの店員さんに聞く所によると、どうやら私の魔界組は推定40歳前後のパチプロに目をつけられていて、いない間に抜き倒されたようです。
唯一の勝てる方法を失った私は再び負け始めます。そんな時、同じ寮に住む2年先輩の大学生"T"さんからパチスロのアドバイスを受けました。確かにパチンコは田山さんのようなタテの比較で釘を見られる眼力がなければ厳しそうという認識を持ち始めていました。パチスロも触れた事はありますが、運さえ良ければ777が揃って勝てると当時は本気で思っていた事もあり、予備校生のガリ選手は少しずつパチからスロへと移行していきました。
当然ながら翌年も大学に落ちた私は専門学校に通う事になります。
思い出しながら書いていたら、何だか随分と長い記事になってしまいました。予備校以降のお話は、またの機会にとっておきたいと思います。
以上です。これで稼働のみ月間だった5月の実戦記は終了です。来週以降は当分の間、収録や来店時の実戦記になってしまいます。裏話的なモノも盛り込んでいきますので、また2ヵ月ほどお付き合い頂けたら幸いです。
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