ガリぞうが「生きる意味を失った」と語る出来事が与えた立ち回りへの影響とは?【収支日記#168:2023年5月16日(火)~5月22日(月)】 (1/3)
今週の収支日記は、5月16日~22日の1週間です。生きる意味の一部を失った週でもありました。
5月16日:誰が為
「勝ちスロコミットJ・第3回(鹿児島県鹿児島市編)」の収録を終え、17日の「プロスロ13」収録の為に福岡への移動日でした。
鹿児島から福岡へ移動し、ホテルにチェックイン後はひたすら原稿を書いていました。嫁が体調を崩していると聞いていたので、「キミもみぃ子も心配だわ。疲弊してないかい?こちらはホテルに缶詰で原稿を書いています。」と、LINEで連絡を取ってみました。すぐに既読はついたものの、30分ほど時間を置いて、みぃ子の写真と共に返事が届きました。
「みぃ子は先ほど息を引き取りました。享年16歳8か月でした。」
「君の仕事が終わるまでは言わない方がいいのかと色々迷いましたが、君なら乗り越えられると信じて伝えました。」
翌日の収録を終えられたら1日だけ帰宅できたのですが、間に合わなかったようです。
「お疲れ様。」とだけ返事を打ち、夜通し泣いて朝を迎えました。
みぃ子が我が家へやってきたのは、2006年の9月。私がネトゲ廃人真っただ中の頃でした。今は誰にも信じてもらえないかもしれませんが、私は犬や猫が苦手でした。むしろ人間以外の動物が全て嫌いで、意思の疎通ができない相手とわざわざコミュニケーションを取る必要性を感じていませんでした。パチスロというデジタルな無機物とばかり接していたおかげで、そういった感覚も助長されたのかもしれません。それでも嫁が猫好きだったので、ガリにゃん(メス・当時9歳)とクマ太(メス・当時4歳)を飼ってはいましたが、何れも私じゃなく嫁に懐いていました。そんな中、学生時代の友人が生まれたての6匹の仔猫を我が家に連れてきました。
奇跡的に画像が残っていました。上部の真ん中にいる1番小さい仔猫がみぃ子です。「既に2匹飼っている我が家には厳しい」と個人的感想を伝えましたが、「飼ってあげないと」という嫁の意見が優先され、左上の白黒斑と真ん中の三毛猫の2匹を飼う事になりました。白黒斑はオスだったので「ケン太」、三毛のメス猫は模様そのままに「みぃ子」と名付けました。苦手な動物が4匹になったのですから、そりゃ私も憂鬱になります。ネットゲームに没頭したくても近くでミィミィうるさいですし。
そんなある日の深夜。茶の間の座椅子に身体を預けてテレビを観ていたら、みぃ子が私の近くに歩いてきて、腰の辺りをよじ登ってきました。仔猫が自分の身体に登ってくるという体験をした事がないので困惑していたら、みぃ子は私の上着付近でもぞもぞし始めました。意味も分からず見守っていると、どうやら私の部屋着の中に入ろうとしているようです。黙って見ていたら、服の中へと入り込み身体を丸めて寝始めてしまいました。完全にカンガルーの親状態です。この時、私の身体にゾクゾクした未体験の感覚が駆け巡ると共に、「この小さな命を守らねば」という使命感が生まれました。私がネトゲ廃人から脱せたのは嫁の力とノリチームの読者さん達のおかげだと思っていますが、みぃ子に対する新たな使命感も私の中では大きかったのかもしれません。
その後、私の部屋着の中に潜って寝るルーチンは数ヵ月続きました。みぃ子が寝ている間、私は身動きできませんが、それでも今まで知らなかった多大なる幸せを感じていました。
「猫はか弱き愛でるべき動物なのだ」
動物嫌いだった私を変えてくれたのは言うまでもなく、他の猫達への愛情も芽生えていきました。
その後、ケン太の覚醒が始まります。4匹中、唯一のオス猫だったからなのか、我々の愛が足りなかったのか、やんちゃだったケン太は他の3匹に攻撃し始めるようになります。最初はじゃれているだけかと思っていましたが、他3匹が出血するほどの怪我をするようになり怯え始めてからは看過できず、里子に出さざるを得ませんでした。
我が家の猫が3匹になり、しばらくしたある日。時間は深夜1時くらいだったでしょうか。部屋内を歩いていたみぃ子が2度ほど嘔吐し、その後に突然ジャンプしました。嫁の背丈ほどの高さにまで飛び上がったので、そりゃ我々も驚きます。最初は虫でも発見したのかと思いましたが、良く見ると口から胃液のようなよだれを垂らしています。みぃ子の身の危険を察知し、深夜の国道を街中まで飛ばして動物の救急病院へと連れて行きました。病院に向かうまで助手席に乗っていた嫁の話だと、普段は過剰なほど安全運転な私がこの時ばかりは眼を血走らせながら危ない急ぎの運転をしていたらしく、みぃ子よりも事故の心配をしていたようです。
診断の結果、急性胃腸炎だったようで。大事には至らず一安心でしたが、この救急病院での会計が家賃1ヵ月分に近しいほどかかってしまい、「愛猫の命を守るにもお金が大事なのか」と考えさせられました。お金は生活できるだけ最小限あれば良いと考えていた私にとっての変革期でした。
みぃ子は臆病で甘えん坊でした。
2018年に北海道で発生した胆振沖地震の時は、大きな縦揺れがトラウマになったのか、私が寝ている布団に潜って丸3日ほど出てきませんでした。
コロナ禍で家から出られない時期は毎日のように添い寝していました。おせっかい焼きな私に甘えたがりなみぃ子とは相性が抜群だったのかもしれません。そもそも自分の人生でやりたい事は大体やり終えたと思っていた私に、「みぃ子の命を守らねば」という新たな生きる意味を日に日に強めてくれたんだと思っています。
思い返せば、みぃ子は私に安らぎと使命感と動物を愛でる心、そして生きる意味を与えてくれたのかもしれません。私は誰が為に生きてきたのか……。生きる意味の1つを失い、狂うほどの酒を浴びようかとも考えましたが、やはり仕事に支障が出る行為は良くないと踏みとどまり、夜通し泣くだけにとどまりました。この日以降、しばらく尾を引く事になります。
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