ガリぞうが伝授!データロボサイトセブンの活用術とは?【収支日記#67:2021年7月6日(火)~7月12日(月)】 (1/3)

ガリぞうが伝授!データロボサイトセブンの活用術とは?【収支日記#67:2021年7月6日(火)~7月12日(月)】 eyecatch-image

2021年7/6[火]~7/12[月]収支 7/7☆休日 7/10☆収録(稼働)-225枚 7/12☆収録(稼働)-1288枚 合計 稼働日:2日 -1513枚

 

今週の収支日記は7月6日~12日の1週間です。今回は収支日記と言うよりも、「心が折れそうになった出来事3選」といった記事になっています。

 

誰だって自暴自棄になり諦めたくなる事があるでしょう。逃げ出さないこと・信じ抜くことがダメになりそうな時に一番大事だと誰かの歌にもあるような3本の実戦記(?)です。

 

 

7月7日:家族の理解

 

夕方前に出張から一旦帰宅するも、翌日から再び長期出張が始まるので、車を走らせ雑用処理に動いてました。(結局7月は自宅泊がこの日と後半に1泊の2日間のみでした。)

 

いくつかの荷物を預けたり頂いたりする用があり、嫁の実家にも立ち寄ったり。

 

実家と言えば、若手でガチ系の某演者さんから家族にまつわる後日談を聞きました。なんでも付き合っている彼女がいたのに、相手の家族に理解されず結局は別れてしまったんだとか。そんな話を聞き、私も今の嫁と付き合い始めた頃を思い出しました。そこで今回は、私がパチスロだけで生活していた22年以上前の話に少しだけ触れてみます。あまり思い出したくない時期ですが、現パチスロ生活者にとっての対人関係の参考にして頂けたら幸いです。ではでは……。

 

仙台での自営業に失敗し、札幌に逃げ帰ってくるも借金の返済を続けられるほど高収入の仕事もなく、パチスロで生活し始めた25年前。24歳の私は当時フラれかけた彼女との同棲を再開しました。

 

とにかく稼ぐ事だけ考える稼働を2年半続け、ようやく家計が潤い始めた頃。それでも「どうやって生活しているのか」については何れの両親にも言えずじまいでした。

 

私の両親には「(甘い店があれば)遠くに行く事もある」・「(店移動で)車を運転してる事が多い」・「(データ集めで)パソコンを使う事もある」と話していました。(カッコ内は言葉に出しておらず心の中で言っていた部分です。)

 

我が母は「アダルトビデオの制作・宅配か」と連想していたようですが、当時は否定せずにおきました。

 

彼女の実家へ挨拶に行った際は家の敷居をまたげませんでした。どんな会話がなされていたかは未だに聞いていませんが、彼女だけが家にあがり、私は玄関で30分ほど待たされてそのまま帰らされたなんて事も。

 

やがて同棲生活も安定してくると、身を固める案も浮上してきます。しかし、生活を続けるだけの稼ぎは十分にあるものの、パチスロ生活だけのままで結婚は厳しいとしか思えません。この頃から稼働所得も申告していましたが、それが免罪符になるとも思えません。現状の稼働による稼ぎを最大限に続けながら可能な働き口を考え始めますが、なかなか思いつきません。

 

そんな生活を続けている中、同棲中の彼女が知人からDOS/Vの自作パソコンを譲ってもらったようで。ただ、使い方がわからない、との事。幸い私は小学校高学年から高校までの間、パソコンを趣味の1つとしていました。ぴゅう太(TOMY)→FM-new7→PC-8801MHの流れでBASICを独学し、コンピュータ専門学校にも行っていたので、Windowsと呼ばれる昨今のパソコンの勉強もあわせて教えながら共に使う事に。

 

このパソコンで趣味の一環としてホームページを作成し公開すると、瞬く間に閲覧数が伸びていくつかの会社から記事の執筆や映像出演のオファーを頂きました。当時はパチスロで稼ぐ事に夢中でライター業というモノに対して特に興味もなく、メールで頂く出版社や地上波からのオファーも流し見程度で返信さえしない事もしばしばありました。それでも興味を抱いたり面白そうだと思ったりした案件をいくつか受けていくにつれ、これを職業にできるのではないかと考えるように。

 

「現場で真剣に稼働し生活できている者だからこそ可能なパチスロの勝ち方を伝えることを生業とする。」

 

そう考えるなら普段の稼働も仕事を成就させる為の流れの1つになりそうだと考えました。それ以降はパチスロライター業にも興味を持ち、いくつかのお仕事も受けさせて頂くように。

 

しかし悲しいかな、このスタイルで生活し続けて10年以上経ち、漫画の単行本が発売され印税まで入った頃でも、我が両親からは「いつ頃から働くの?」と言われていました。やはりパチンコ・パチスロは関わる者全てが娯楽なのだという認識だったのかもしれません。業界自体を否定されてしまうような言葉を聞き、心が折れそうになった事もしばしばありました。それでも方針を変える事なく続けてきた結果、パチスロライターとして22年経った今では私と嫁双方の両親から理解を得られるようになりました。嫁の母は長時間稼働の着座による身体的弊害の対策方法を色々と調べてくれますし、手先が器用な我が父は私の小役カウンタの修理役まで担ってくれています。

 

理解ある身内達に感謝していますし、稼働とパチスロライター業の双方共真剣に向き合い続けてきたから譲歩してもらえたと思っています。今後も身内の理解を裏切らないよう何事にも真面目に取り組んでいきたいと思います。

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