ガリぞうは二代目だった!?初代ガリぞうと家族の話【収支日記#79:2021年8月31日(火)~9月6日(月)】 (2/3)
9月3日:家族紹介
今日は1回目のワクチン接種日だったので、体調の悪化を懸念して自宅で安静にし、原稿を書く以外はみぃ子と戯れるだけの1日でした。
私もあと4ヵ月で50歳になります。若い頃はあまり気にしていませんでしたが、この歳になって家族との時間がより大切に感じられるようになりました。パチスロで勝つスキル以外、何の武器も持たない私なんかと長年一緒にいてくれた家族には感謝しかありません。稼働収入を毎月集計せず確定申告の時のみ一括計算したり、演者収入を0円にしてでも出張仕事を1年のうち丸々4ヵ月も休んで北海道に滞在していたり、自身が出演する動画のコメ欄チェックに時間を費やさなくなったのも、全ては家族との時間を優先するようになったからとも言えます。
そこで今回は箸休めとして、今の私を培ってくれた我が家の家族を紹介させてください。
私を理解し支えてくれている面々です。
嫁
当時、私が24歳だった頃。まだ19歳だった彼女と地元で知り合い、イキっていた若者の私は「自営で会社をやるから彼女兼事務員として来ないか」と声をかけ、一緒に住み始める事に。しかし会社が半年で潰れ、当然ながら別れたいと言う彼女に「頑張るから」と泣いてすがったのは恥ずかしくも良い思い出です。
その数年後、彼女が病気を患ったきっかけで2人の絆は強まり、間もなく結婚。誰からも必要とされていなかった私に生きる使命感を与えてくれて本当に感謝しています。
嫁は元々ギャンブルを一切やらない人だったので、パチスロも予備知識ゼロからのスタートでした。初打ちは4号機の初代マッハGOGOGOでした。嫁とのドライブ兼店調査中、2台並んで800Gハマリ(凱旋で言う1200Gハマリくらいです)の空席を発見。さほど目押し力も必要ない機種だったので、「ただ回すだけで良いから」と打ってもらいました。
私は天井REG単発128G抜けで終わったのですが、彼女は天井前に自力でGOGOタイムに入れ、これが3連。しかも継続ゲーム数が50G・100G・50Gと異常なヒキを見せ、1時間ちょっとで5000枚の出玉を叩き出していました。これがきっかけでパチスロを打つようになりましたが、元々の予備知識がゼロだったので、独自の波理論や先入観の一切ないまま私のスキルだけを受け継いでいきました。
しばらくして私がネトゲ廃人になり稼働に全く行かなくなった時期も、嫁は私の立ち回り手帳を見てバスを乗り継いで店に行き、記入されている通りの立ち回りで一切淀みなく稼いでいました。この頃を思い出すと罪悪感で圧し潰されそうになります。
私がネトゲ廃人から脱却して以降は夫婦として完成形に近づいたのか、特に大きな喧嘩もなく仲良く暮らせています。私が今こうして生きていられるのも、半分は両親、もう半分は嫁のおかげだと思っています。
ガリぞう
まだ私が今の嫁と同棲さえしていなかった頃。当時付き合っていた彼女が「捨て猫を拾った」と言っていました。病院に連れていき、栄養失調で一旦心臓が停止するも蘇生してくれたと電話で泣きながら話していました。死にかけるほどに痩せ細ってガリガリだったので、そのネコを「ガリ」と彼女が命名したようです。
やがて彼女との同棲が始まり、私もガリと共に暮らす事に。私はペットとの暮らしが初めてだったので詳しくなかったのですが、何度も飼った事のある彼女から見て、ガリは人間で言う自閉症らしく。心臓が一度止まった事に起因しているのかもしれませんが、一般的なネコよりも上手にコミュニケーションを取れないようです。それでも我が家の愛猫として健康に育っていきました。
私が仙台で自営業を立ち上げる時も共に来てくれて、廃業後も一緒に帰ってきてくれました。当時の私は社会に敗れた感を強く抱いていましたが、そんな落ちぶれた私にもガリは常に癒しを与えてくれていました。
北海道へと逃げ帰り、借金返済の為に打ち始めたパチスロも落ち着きを見せてきた1999年。私は稼働意欲維持の為にホームページを立ち上げ、その際にHN(ハンドルネーム)を飼い猫の名前にしようと決めました。我が家のネコは「ガリ」ですが、ペットって時期により名前が少しずつ変わりますよね。
ガリも飼い始めの頃はガリのままだったのですが、その後「ガリ夫」→「ガリぞう」→「ガリオンヌ」→「ガリにゃん」と出世魚のように呼び名が変わっていきました。そして、ちょうどホームページを立ち上げた頃が「ガリぞう」だったので、今の私のペンネームになっています。
ガリにゃんは自閉症もあってか粗食で、食べるご飯の量が少なく、大好物の鰹節でさえひとふり程度で満足していました。しかし、嫁曰く「粗食は長寿の秘訣」と言わんばかりに長生きしてくれて、結局は長寿もいいところの20歳超えの大往生でした。(猫の年齢を人間に換算すると、最初の一年で18歳になり、その後は4歳ずつ年を取ると言われています。20歳以上となると、18+19*4=94歳以上になります。)
クマ太
時は2001年。前述の嫁の病が発症した頃、学生時代の友人から「子猫を拾ったけどウチでは飼えないから貰ってくれないか」と言われ、我が家にやってきました。身体は寸胴で手足も短く耳も小さい、おそらくはマンチカン系の雑種だろうメスの黒猫でした。
心身共に疲弊していた我々2人は癒しを求めて黒猫を飼い始めました。当時はマンチカンという品種を知らず、ただ手足が短く耳の小さいヒグマのようなネコという印象で、私がクマ太と名付けました。
幼少期のクマ太はガリに対するいたずらが絶えず、逃げまどうガリを守るべく厳しく躾けていた私は嫌われてしまったようで、いつの日かクマ太は嫁にしか懐かなくなりました。用心深い元々の黒猫の特性とも言われていますが、嫁以外の人間から全て逃げてしまうネコに育ってしまい、躾が厳しすぎたのかもしれないと反省しています。ただ、その分クマ太は嫁にとってかけがえのない娘になっていきました。
クマ太は本当に頭が良く、特に連想が上手でした。嫁は掃除機をかけ終わった後にネコ達のエサを用意していたのですが、これをクマ太は連想できていたらしく。嫁が押し入れから掃除機を出すだけで、クマ太はガリに攻撃をしかけて部屋の隅に追いやるのです。「この後はエサの時間がくるから、私が先に食べるからな。」そう言わんばかりに。
そんなクマ太もガリとは良い友達になれていたと思います。運動神経も知能指数も明らかにクマ太の方が数倍良かったのですが、成人後は互いに追いかけっこしてもクマ太がわざと負けてあげているだろうシーンが多く見られました。もしかしたらクマ太はガリの自閉症に対する思いやりさえ持てていたのかもしれません。
そんなクマ太も12歳になった頃、定期健診で悪性リンパ腫が見つかり、亡くなってしまいました。病気絡みで我々夫婦が精神的に最もキツかった時期に我が家へとやってきて、紆余曲折ありながら厳しい時期をようやく脱し始めた頃、まるでその役目を終えたかのように虹の橋を渡って行きました。
尚、亡くなる前の頃の話はボイスコミックとしてAPチャンネルでも公開されていますし、ブログでも思い出を綴ってあります。クマ太の話を思い出すと目頭が熱くなり、今もティッシュを眼に当てながらこの記事を書いています。
ケン太
学生時代の友人が「ネコの子供が5匹も生まれてしまい飼いきれないので貰ってくれないか」と相談があり、その内の2匹(オス1匹・メス1匹)を譲り受ける事になりました。白黒のネコをケン太、三毛猫をみぃ子と私が命名。
兄弟の血なのか、2匹ともビジュアルに優れていました。ケン太は運動神経も抜群で、きっと人間だったらモテただろうなぁと思います。幼少期はクマ太が毛繕いをしてあげるほど可愛がられていました。しかし、ケン太が成人を過ぎた頃。我が家で唯一のオスだからか、他のネコ達への攻撃が激しすぎて平穏な暮らしを形成できません。
ガリは血が出るほどの怪我をさせられ、クマ太は洗濯機の中に隠れるようになりました。部屋を分ける等、色々と対策を試みてみましたが、どうしてもケン太は多頭飼いできるネコではないようで。非常に残念ではあったのですが、他の飼い主を探してもらえるNPO法人を頼る事にしました。月々の家賃を払って飼ってもらいながら飼い主さんを探してもらうこと約半年。貰い手が見つかったようで、ケン太は旅立っていきました。
今思えば、ケン太は寂しがり屋の一面もあったように思います。もしかしたら我々の愛情が足りなかったおかげで暴れん坊になってしまったのかもしれないと思うと後悔の気持ちでいっぱいになります。もし今も生きてくれているのなら謝りたいです。
みぃ子
ケン太と共に我が家へやってきたみぃ子は即アイドルの座を獲得しました。クマ太からもケン太からも毛繕いされ、私のハートも一瞬で射抜いていきました。
みぃ子は愛され上手なのか、何をやっても可愛いです。名前を呼べば尻尾を振るか鳴き声で必ず返事をしてくれます。怒っても逃げず逆に愛想を振りまきながら近寄ってきます。完全に自らの可愛さは武器になると自覚した動きを見せてきます。
そんなみぃ子は幼少期から様々な過保護を受けてきたせいか、自分で毛繕いをしない猫になってしまいました。一般的な猫はトイレ後に下部を舐めて綺麗にするのですが、みぃ子は一切やりません。臭いもキツくなっていくので、みぃ子のトイレ後に我々夫婦が霧吹きで肛門付近を濡らして舐めさせるようにしています。今ではトイレ後に我々どちらかの元へやってきて「ウォシュレットやって」と言いに来るようにまでなりました。
そんなみぃ子もクマ太の享年を超え、14歳になりました。人間で言うと70歳なので、年金生活に入っている頃です。老猫になった今は腎臓の病気を患ってしまい、25%しか機能していないそうで。腎臓は機能が25%以下になると余命を告げられるそうなので、ちょうどギリギリのところで踏みとどまっている事になります。可能なら私の腎臓を片方あげても良いくらいですが、人間と猫じゃ叶いません。せめて存命中は少しでも一緒にいてやりたい……。私が地元を離れ演者業に費やす時間を減らしたがっている理由の1つです。
以上です。今は嫁とみぃ子、そして私のみの3人家族になってしまいましたが、無償でつながりあえる貴重な間柄を生涯大事にしていきたいです。
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