ガリぞうがジャグラー実戦で期待値よりも優先したものとは?【収支日記#104:2022年2月22日(火)~2月28日(月)】 (1/3)

ガリぞうがジャグラー実戦で期待値よりも優先したものとは?【収支日記#104:2022年2月22日(火)~2月28日(月)】 eyecatch-image

2022年2月22日火~2月28日月収支 2/22原稿 2/23★原稿 2/24原稿 2/25★原稿 2/26稼働 マイナス230枚 2/27★稼働プラス1119枚 2/28移動 合計稼働日:2日 プラス889枚

 

今週の収支日記は2月22日~28日の1週間です。と言っても、この週は北海道民の誰もが普段の生活を送れない1週間でした。未曽有の豪雪により市の除雪も捗らず、外出自体が困難という異例の事態です。除雪車の圧雪により私の車のバンパーも割られてしまいましたが、それさえも泣き寝入りせざるをえないと諦めるほどの豪雪でした。今週は、そんな天災まみれの1週間の収支日記です。

 

 

2月23日:辞め時

 

札幌では何十年単位に一度くらいとなる何日も電車が止まるほどの大雪により、物理的に稼働に出られず1日中原稿を書いていました。

 

今月は上旬に感染症、下旬は天候に稼働を阻まれてしまいました。これほどに現場感を取り戻せないまま2ヵ月の出張月に入ってしまうと考えると不安を隠せません。稼働しか取り柄がない身として、これほど不安になる事案もありません。嫁にも許可を得られていますし、「来年は隔月で休んで1年の半分を稼働収入のみでの生活」が現実的になりつつあります。

 

こんな事は書きたくないのですが、既に半自伝となりつつある収支日記ですし、今回は過去26年を遡り、「私がパチスロ生活を辞めていたかもしれない機会」を羅列してみます。思い出したくない話ばかりではありますが、これも私の歩んできた道ですし、回顧録的に流し読みして頂ければ幸いです。

 

 

その① 借金


私は1996年に半年だけ挑戦した自営業(携帯電話の二次代理店)で550万の借金を作りました。その後、2年半ほどの稼働漬けで全て整理し終わった瞬間が最初の辞め時だったように思います。実際、やりきり症候群だったのか、稼働欲も一気に失っていましたし。辞めなかった理由は、もう少しパチスロを打って社会復帰した際の貯蓄を作っておきたかったから。会社勤めは最初の数ヵ月が無収入になる場合も多いので、「生活費に余裕を持ちたいからもう少し続けよう」となりました。


ただ、稼働欲が落ちてしまっていては大きな稼ぎも見込めません。稼働欲を取り戻すにはどうしたら良いのかと考え、個人ホームページを作って似た境遇の人達との面識を作る事で士気を高めていこうと考えました。

 

 

その② 嫁の病

 

2001年の夏頃に、同棲していた彼女(現嫁)に生活環境が原因かもしれない病を患いました。パチスロの稼ぎで生活する事が普通の生活環境じゃない自覚は当然あります。彼女は元々パチンコ・パチスロを一切やらない家庭で育ってきたので、私の知らないところで大きなストレスを抱えていたのかもしれません。

 

そう考えると、もはや私は辞めざるをえないと思いました。既に取り返しがつかないのかもしれませんが、長い期間をかけて償っていこうと決めました。「パチスロを辞めよう」と、私が最も強く思った機会でした。辞めなかった理由は、彼女に止められたから。「女は何かに真剣に向き合っている男の背中を見ているのが一番幸せなんだよ。キミはパチスロと向き合ってる時が最も真剣なんだよ。」そう言われ、再び稼働と向き合うようになりました。

 

 

その③ ネトゲ廃人

 

2006年の春くらいからでしょうか。私は「RED STONE」というMMORPGにドハマリしました。紫サーバーでドラゴンツスイスター戦士として活動し、稼働は月に3日ほどで1ヵ月のほとんどをゲームに費やしていました。5号機への転換期で稼働意欲を失ったのか、それなりに稼いで満足してしまったのか、ネトゲ廃人になった理由は今でも分かりません。

 

辞めなかった理由は2つあり、1つは嫁が1人で頑張ってくれていたから。毎日ネトゲをしているのですから稼働収入などあるハズもなく。そんな中、ボーナスを揃える目押しもろくにできず、パチスロで勝てるスキルなどほぼない嫁が、私の稼働スケジュール手帳を見て1人でバスを乗り継いで高設定を狙いに行っていました。思い出すと自分が情けなくて今でも泣けてきます。

 

また、当時良く店がかぶっていたらしい軍団系の方から頂いたメールにも触発されたところがあります。おそらくはネトゲ廃人中の不甲斐ない立ち回りを見ていて思ったのでしょう、「多対一でも負けずに立ち向かう気概をずっと見てきたので、今の貴方を見ていると残念です」的な連絡を受け、しっかりせねばと少しずつ現場に戻っていきました。

 

こうして考えると、私は1人じゃ生きていけなかったのかもしれません。元々ダメ人間だった私が、嫁をはじめ多くの皆様に支えられてきたおかげで生き永らえているんだなと感じます。また、逆に考えるなら、私は何度も辞め時を失ったとも言えそうです。読者さんや視聴者さんにも「粘り強い稼働」と表現される事が本当に多いです。私自身は全く自覚がなかったのですが、そう言われてみると確かにパチスロのみならず私生活から粘り強かったのかもしれません。その粘り強さが私の人生を高めたのか下げたのかは誰にも分からない事ではありますが、稼働を通して多くの方へ恩返しできるよう今後も「人生パチスロ一本道」で頑張ります。

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