もはや釘も玉も不要!?大崎一万発が大スランプの果てに想像した未来のパチンコとは

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例によって凄まじく負けていて、もはや病みもしなければネタにもならない日常茶飯のまんぱつである。ひたすら連日、引けない、ツイてないの理不尽に耐えている。11月中旬からの戦績は、9連敗して、1勝を挟んでまた9連敗である(笑)。特に悪い台を打っているわけでもないのにこんな悲運に見舞われてしまうのが現行スペックの恐ろしいところであるが、負けすぎ問題よりも深刻だと思うのは、多大な時間とお金を費やしてきたはずなのに、大して「楽しかった」が残っていないことである。

 

パチンコがこれほど荒くなったのは、「回らなくても出る」を追求し、偏らせスペックに特化してきた結果だが、当然のトレードオフとして「回っても勝てない、当たらない」ケースが頻出するようになる。派手な出玉も演出も、当たらなければ楽しめない、引けなきゃつまらないのが今のパチンコである。すなわち「回ったのにつまらない、楽しくない」という、誰も悪くないのに最悪の結果が頻繁に導かれる。パチンコは報酬を得るまでのプロセスを娯楽として提供するゲームであるから、回っても=入賞してもつまらないパチンコを楽しめるわけがない。

 

パチンコのゲーム性とは演出バランスやギミックや、右打ち中の煽りやスピード等々で論じられるが、本来これは話が違う。あくまで結果に過ぎない入賞後の演出や出玉云々よりも、正しくプロセスの部分、玉と釘と役モノでゲーム性を構築するのが本筋であるべきなのだ。1球ずつを大切に打って、玉の動きや釘との絡みに一喜一憂し、クルーンに熱狂するのがパチンコなのだ! と、バレろよふざけんなと前のめりでリゼロ2を打ちながら老害発言を撒き散らす自己矛盾も大概なものだが(笑)、でもやっぱり、今のパチンコとパチスロの支持率の差は、1球1ゲームをどう魅せるか楽しませるか、その差であると思う。

 

ゲーム代金ベースで考えてみれば、玉1球メダル1枚あたり客の負担はどちらも0.35円前後(4円/20円の場合)。パチンコの3球がパチスロ1ゲームに相当する。パチンコを3000発打つ(200回転前後)のとパチスロを1000ゲーム回す、これに要する費用は同じであるから、提供される価値も同等でなければバランスが悪い。しかしどちらを打つかと言ったら、パチスロを選ぶ人が多いだろう。パチンコは対価に見合わないと判断されているのだ。

 

3発打ち出し、盤面に飛んで釘にぶつかり、ステージを転がり、どこかの穴に入ったり入らなかったりするパチンコの一連と、ベットし、レバーを叩き、ボタンを押していくパチスロの1ゲームは等価である。打ち出した玉が釘に当たって転がって入賞口に入るか入らんか見ている間、それはパチスロに置き換えればストップボタンを押している間である。両者に同等の満足感や納得感や期待感やドキドキワやクワクや楽しさがあるかと言えば……? 今のパチンコは結局、入賞した後でしか楽しめない。入らなければただ無の時間に成り果てる。だからコスパが悪いと判断される。しかし、その無だったはずの時間を、アナログな玉や釘やで娯楽に昇華して遊ばせてくれていたのがパチンコというゲームだったのである。そう考えると、僕の老害発言も多少は理解してもらえるだろうか。

 

とは言え、もはやアナログに戻れやしないことも重々承知である。役モノ機では今の業界は支えられないし、デジタル世代のプレイヤーに訴求するのも難題だろう。玉の流れを云々したところで、派手な演出と報酬で釣りまくって今更、バカにしてんのかって話でもある。パチンコは、パチンコであることを捨てて新生するしかないのかなと、考えたこともない未来を想像する。リゼロ2から釘と玉を取っ払って、ボタンを押したら1回転して、たまさかのポキューンと鳴って、3000発出たりハズれたりして所持ポイントが増えたり減ったりするゲーム……あれ? 別にそれでいいのかもしれない(笑)。回っても回らなくても、当たらなくちゃ楽しくないパチンコならば、釘も玉もなくせばいい。……負けが込みすぎるとこんな暴論を吐きたくなる。良くない良くない。

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148
  • 1:2023-12-09 00:44:28あの大型の盤面にしたのは元に戻して欲しいですね。釘配置しても間抜けになり正村ゲージが台無しですよ。

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