「男はみんな乳が好き」青年時代のあしのがおっぱいとパチスロに惑いながらライターになるまでの話
有志以来、男は『おっぱいが好き』という業を背負って生まれてくるのが世の宿命となっている。これはもう仕方のない事だ。そもそも哺乳類が母乳で育つ以上、口に含んだ瞬間本能的にオエってなるならもうその子は育たぬ。故に当たり前の話なのである。男はおっぱいが好き。なんなら女性もおっぱいが好き。サイズは問題じゃない。乳そのものがホーリィなのだ。
──なので当時27歳だった俺が、Oちゃんという素敵なバストを持つ女性に惹かれてしまったのも、これはもう仕方の無い事だったのだと思う。
彼女は俺の職場にバイトとして入ってきた人だった。最初は普通に接していたけど、飲み会の席で隣になった時にじっくり話してみると、なんと彼女の趣味がパチスロであるというのが判明した。奮っていたのはこのセリフだ。
(一番好きだった機種はなんですか? 私は『ウルトラマン倶楽部3』です)
結果、いっきに惹かれた。思えば、これが人生のターニングポイントだったと思う。たった一対のおっぱいが人生に与えた壊滅的な影響。正直これを書くのには自分にも精神的なダメージが大きいのだけど、まあいずれはどっかで触れる事になる話なので早めに出しとくことにしよう。兎にも角にも、今回は、そんな話である。
いくぜプレス!(掛け声)
5号機黎明期の甘い思い出。
彼女と最初に打った機種はアルゼの『サンダーVスペシャル』だった。5号機序盤の超名機だ。年上だった彼女は学生時代にリアルタイムで初代を打ったことがあるとの事。俺は初代は触ったことがない。あるのはその次に出た『サンダーV2』からだけど、『Vスペ』はめちゃめちゃ楽しかった。5号機序盤の台は横目で見るだけでほぼ触って無かったのだけど、この機種で5号機そのものを見直した気がする。そんな楽しい台を巨乳の子と並んで打つのである。テンションが上がらない訳がない。ぶっちゃけ人生の中でも屈指の楽しさだった。しかも当時はホールも5号機をかなり甘く使ってくれていたのでお互いに連勝。……これはもう、恋に堕ちても仕方がない事なのである。
そうして、我々は休みの日にちょくちょく一緒に打つようになり、職場の休みの希望も同じ日に合わせるようになった。
その頃のことだ。一緒に打ちに行った日に俺は『秘宝伝』で万枚を出した。4号機最後の万枚である。当時の時勢をご存知の方なら分かると思うけど、あの時俺は本気で『これが人生で最後の万枚だろうな』と思っていた。実際は5号機でもバンバン万枚を出すし6号機でもそのうち絶対に出すつもりなのだけど、少なくとも当時はそういう気分になっていた。どうせならこの万枚分、最高に楽しく遊ぼうと。思い出に残る使い方をしようと。そんな時に隣にOちゃんが居たので、結果はお察しだ。二人で箸にも棒にもかからない、刹那的で享楽的な使い方をした。人生の春来たる。よっしゃよっしゃ何でも食えい。飲めい。大丈夫。20万くらいある。ハハハ──!
……バイトの女の子に手を出したということで俺が職場をクビになったのは、その数日後の事だった。
無職。このパワーワードを実感するのは人生で初の事だった。しかも場所は長崎である。希望職種の有効求人倍率は3倍とかになっていた。それでも真面目にハローワークに通って状況を打破しようと頑張っていた。そんな中、事件が起きた。俺の家で過ごした翌日、Oちゃんが家に帰ると自宅で家族が亡くなっていたのだ。脳卒中だった。そこはその亡くなった家族の名義で借りていた市営団地で、そして彼女はその家族と二人で住んでいたそうな。要するに、彼女はその日からいきなり家なき子になってしまったのだ。
当時まだ彼女との仲は半年程度のものだったし、今ならば「そうか」と言って離脱のチャンスを伺うに決まってるのだけど、当時の俺はまだ若く、そしておっぱいに飢えていて、その上きっと、いまより人間として弱かった。ざっくり言って、惚れていたのだ。だので深く考えもせず、言葉が先に口から出た。
……どうだろう。きみさえ良ければ、一緒に住むかい?
まだまだ夢の中。上京物語。
翌年。彼女と俺、そしてオヤジと婆ちゃんという奇妙な共同生活は半年目に及んでいた。俺の実家には1DKの離れがあって、そっちに我々。母屋にはオヤジとばあちゃんが住んでいたのだが、彼女は早速我々の家族から嫌われていた。理由は簡単である。部屋がめちゃくちゃ汚くなったからだ。一緒に住んですぐに分かったけど、彼女は病的に掃除が出来ない人だった。これだけのおっぱいを持ちながらフリーだったのは何かしら理由があるのかも知れないと思っていたけど、蓋を開けてみれば簡単なことだ。そしてそれは、当時はさしたる問題ではないように思えた。掃除は俺がすりゃ良いのだから。
実際、田舎での共同生活はそれなりに楽しかった。当時俺は防犯カメラの営業の職にありついて、日々市内を営業車でグルグル回っていた。たまに近所まで来た時に家に帰ると、彼女がいびきをかいて寝ている。起こさないようにそっとソファに座ってコーヒーを飲んで、そのおっぱいを揉んで英気を養ってまた車に乗り込む。
……ひとはみな、大陸のひとくれ。
イギリスの詩人ジョン・ダンに『瞑想』という作品がある。ヘミングウェイの『誰がために鐘は鳴る』でも引用されているのでそっちで有名かもしれないけど、俺はこの作品が大好きでよく暗誦していた。内容はざっくり「ひとは独りでは生きていけないよ」という意味だけど、彼女のおっぱいを揉むたびにそれを実感していたように思う。ジョン・ダンがブチ切れて墓からモンスターハウスみたいに手を伸ばして来そうだけども、でも実際、ひととの繋がりを実感するのなんで、そんな些細な瞬間なんだと思う。家に誰かが居て、寝ている彼女の胸を揉む。言葉を交わしたり目を見たり。それよりも分かった気になれる瞬間というのがあるのだ。
営業の仕事はそこそこ楽しかった。知らない会社に飛び込んでアポ取って社長と一緒に後日乗り込む。契約を取ったら工事に立ち会って給料日に分け前を貰う。なんだかんだ上手くやれていた。ただひとつ、これは営業の仕事というか法人的な部分に問題があって、要するに給料が出なかったのだ。遅配とかじゃなくて、単純に出なかった。スキップである。基本給も出ない。ゼロだ。社長逮捕案件である。なので所属する営業部員で示し合わせて労働基準監督署に通報して辞めてやった。後日慌てて給料が振り込まれたけど、覆水盆にノーリターンなのである。かくして生涯二度目の無職期間がやってきた。
流石に二度目ともなれば気が緩むもので、今度はあんまり焦らずじっくり仕事を探すことが出来た。調べてみると、なにやら雇用保険というものがあり、しかもそれがたんまり溜まっているとの事。何もせずにお金を貰えるなんてアリストクラート(貴族)じゃないか。というわけで半年ほど心穏やかに遊んで暮らした。家にずっといると俺が掃除をする事になるので、彼女の悪い部分もいよいよ見えなくなった。起きてる彼女のおっぱいも揉めるようになった。二人でまたパチスロに行くようになった。ちょうど『リンかけ』が全盛期の頃だ。朝から並んでパチスロを打つ。あと近所にマルハンが出来たので連日通ってパチンコを打ちまくってたこともあった。甘デジの『ガッチャマン』で二人して大勝して焼き肉に行ったり。京楽の『歌舞伎剣(ソード)』なんかも良く打っていた気がする。勝ったり。負けたり。勝ち負けよりもただ、並んで楽しく打つ。
あれは気だるくて、とても贅沢な時間だった。
最初は違う畑でデビュー。小説書いてました。
じっくり探せば面白い仕事というのはあるもので、ここだと思って応募したら、すぐに採用になった。しかも勤務地は東京だ。本社は下北沢。母ちゃんがいる所である。学生時分からちょくちょく行ってたので勝手知ったる土地である。メールでやり取りするうちに足立区の寮に入る事になった。飛行機のチケットもオンラインで送られてきた。半年くらいパチンコしか打ってなかったので脳みそがふやけてたけど、その段階になってことの重大性に気付いた。Oちゃんどうするんだ……?
長崎で一緒に住むというのと、東京まで連れて行って一緒に住む、というのでは意味合いがまるで異なる。責任の軽重が天と地ほど違う。そもそも一緒に来てくれるのかこの子は。言っても俺だって地元の友だちや家族との、それなりの惜別を経て向かう事になる。彼女も家族はおらぬだろうが友達はいるので、そこは捨て置けない問題だ。
恐る恐る聞いてみた。俺は行くけど、きみはどうする。即答だった。うん行く。それで決まってしまった。
足立区某所。長ッ細いワンルームマンション。前の住人の家具が全部置きっぱなしの部屋で新生活がスタートした。カルチャースクールの店長。基本的には爺様や婆様の相手をしつつ、口八丁で入会費を稼ぐ仕事だ。社員数は100名ほど。全国に300店舗を展開する結構デカイ所だった。その中でも足立のお店は売上が最上位に近かった。つまり激務だ。右も左も分からない足立の土地で怒鳴られながら働く。心が折れそうになる日もあったけど、その中で自分の中の隠れた才能が開花した。以前から薄々気付いていたけど、どうやら俺は年寄りに好かれるらしいのである。これはひとえに、俺がお婆ちゃんに育てられた事に起因するのだけど、要するに年寄りの話をちゃんと聞く。敬意を持って接する。ただそれだけで爺ちゃん婆ちゃんたちからやたらチヤホヤされるのだ。この才能が炸裂したのがこの時代だ。足立の爺ちゃん婆ちゃん。彼らの肩を揉んでこりのツボをほぐしながら同時に財布のヒモもほぐほぐとほぐす。成績はうなぎのぼりだった。しかも俺も当時は会社員としてモーレツに上昇志向だったので、休日出勤も精力的にこなし、欠員が出た店舗も3つくらい運営していた。そうするうちに幹部候補生みたいな扱いになり、いつしか社内でも突出して目立つ存在になっていた。
遅くまでの作業を終えて寮に帰る。ゴミだらけの部屋だ。Oちゃんがパソコンに向かってゲームしていた。『ファイナルファンタジー11』である。この頃彼女は一日に18時間はこうやってヴァナ・ディールという世界に引きこもってしまっていた。
「今日会社でこんなことがあったよ」
それに対する彼女の返答はこうだ。
「わたしだって今日、アトルガンでこんなことがあったんだから」
何が駄目だったのか分からないが、我々のコミュニケーションはいつしか機能不全に陥っていた。それでも『彼女が居てくれて良かった』と思っていた。友達が居ない足立区。少なくとも家に帰って、こうやって馴染みの顔を見ながら飯が食えるだけでも良かった。それが例えゴミだらけの部屋で食べるコンビニ弁当だったとしてもだ。
2月の事だった。職場の仲間が会社に対して裁判を起こした。給与不払い。最初は『へぇ』と思って聞いていたけど、調べてみたら俺の給料もちゃんと入って来なくなっていた。銀行の取引履歴をさかのぼって見てみると、この3ヶ月くらい遅配だったり分割だったりめちゃくちゃだった。防犯カメラ営業時代の嫌な記憶が蘇る。事情を聞くために会社に電話をすると、今から家賃分だけでもすぐ俺の口座に振り込むとの事。いつも尊大な態度の経理部長が平謝りする声を右耳で聞きながら「これは長くないな」と思った。この3年後にはこの会社の創業者と営業部長が出資法違反で逮捕されて全国ニュースになるのをこのときはまだ知らなかったのだけど、匂い立つヤバさを本能的に察知した俺は早々に会社を後にする事にした。もしかしたらあのまま会社にいたら変な手伝いをさせられて、俺も逮捕されてたかもしれないと思うと、本当に辞めて良かったと思う。
数カ月分溜まった給料をなんとか全額支払ってもらって、そのお金でOちゃんと一緒に寮を出た。また足立区である。貯金は引越し費用でほぼ尽きたので、早々にお金を稼ぐ必要があった。とはいえ2連発で給与遅配・不払いで時間を無駄にしているので、今度こそまともな会社に入るためじっくり選びたい。それまでの糊口をしのぐ──何か家で出来る仕事はねぇかなァと探したら、とある業界でのライター募集の広告が出ていた。
ライター。元々物書きは学生時代からやってるしそれでお金を貰った事も何度かある。部屋に籠もって作業するのはそもそも好きな質だし悪くない。経験者という事でエントリーのメールを送ったらすぐ採用の返答が来た。
最初にやった『ライター』の仕事はとあるジャンルの作品に関するレビューの仕事だった。送られてくるファイルの中身を観てレビューを書く。400文字くらいで一本500円とかだ。一晩やったら3,000円くらいになった。これもしかして観なくても書けるんじゃねぇかと思ってバンバンこなしたら10,000円くらいになった。それを2週間くらい続けて今度は別ジャンルのライターに応募したらそっちも余裕で採用になった。今度は取材が必要な仕事で一本5,000円とか。全然稼げなかったけど、こっちはある程度有名な会社が運営してたので名前の通りが良かった。利用しない手はない。あのサイトでも書いてました! というのを武器にさらに上に。そして上に。気づけばめっちゃ有名な会社の月額サイトで書くことになっていた。掌編小説を複数買い切りでン十万円。これはアツかった。毎日毎日ひたすら小説のネタを考えて散歩しまくった。考えて、書く。考えて、書く。繰り返しである。2日に1回、1本2万字くらいの完結作品を納品するとかいう狂ったスケジュールの案件だったけど、この頃はまだ若かったし体力的には全然余裕だった。ただ契約してるサイトがとあるジャンルに特化した所だったので、納品する小説のジャンルも極端に偏る。有り体にもうさば、ちょっと飽きるのが問題だった。
だので、好き勝手なことを書けるブログをやろうと思った。物書きのストレスを物書きで発散するスタイル。そして俺が好きなことと言えばやっぱり『パチスロ』だ。
こうして、日々の雑事をぐだぐだ書くパチスロブログの主として『あしの』というキャラが作り出された。本当の俺は争いを好まぬ愛と平和の戦士みたいなキャラなのだけど、文章上の『あしの』は違った。笑えるけど攻撃的で独善的。毒気もケレン味もあって下ネタも好き。ストレスの発散で書いてたのだからそうなって然るべきだけど、これがそこそこ人気になった。まだブログ黎明期。『1GAME』のてつさんがブログ村を席巻する前の話だ。1日のPVが平均で1万くらいになった。今思えばすごい事だけどそれもそのはず、当時はみんなSNSやまとめサイトよりもブログで情報を集めていたのでそもそものアクセス総数が多かったのである。
この頃は物書きがとにかく楽しかった。小説でお金を貰って、ブログで好きなことを書いて評価される。Oちゃんがヴァナ・ディールに籠もる時間より長い時間、俺はパソコンに向かっていたと思う。そうだ。そのOちゃんも『おっぱい』という名前でブログに登場させていた。彼女自身は俺のブログは読んでいない。なので自分がネタにされてるのも知らない。それがちょっとおかしくて、ちょくちょく出していたように思う。
……人生がコロっと変わる瞬間は、もう目前まで来ていた。
マジクソ最悪な展開だった。
それまで我が家は一馬力で運営していた。おっぱいはひたすらヴァナ・ディールにて吟遊詩人として冒険していたので、家に纏わるお金の一切合切は俺が負担していた。ライター生活3年目に突入したある日だ。おっぱいが外に働きに出たいと言い始めた。電脳引きこもり、自力での脱出決意である。両手を挙げて賛同だ。場所は北千住のとある会社。自宅からチャリンコで行ける距離だ。
「それじゃ、行ってくる」
数年ぶりに仕事に向かうおっぱい。それまで能動的に彼女がなんかする、というのがほぼ無かったので感無量だった。よしじゃあ今日はビーフシチューか何か作って待っといてやろう。鼻歌まじりで買い物に向かう。ちょっと良い肉を煮込む。ワインも入れてやろう。ゴミも掃除だ。片付ける。新しい門出なのだからキレイに。リスタート。そうだ。リスタートだ。思えばこの所、仕事とブログにかまけすぎてほぼおっぱいとコミュニケーションを取っていない。パチスロも基本独りだ。そうだ。今度の休みに久々に打ちに行こう。種銭は俺が出すよ。大丈夫。そうして勝って、焼き肉でも行こうじゃないか。そうしよう。
翌週、実際に二人でパチスロに出かけた。八潮の某店だ。そこで5号機初代の『聖闘士星矢』を打った。おっぱいは基本的にノーマルしか打たないので、なんとその時がART機初体験。突入リプの概念など無いので、色々教えながら打つ。
──ああ、と思った。久しぶりの感覚だ。付き合い始めの頃はこうやって、二人でああだこうだ言いながら、よく打っていたものだ。最近気付いたけど部屋からおっぱいが居なくなると愛しさが募る。カラクリは簡単で、家事を俺がやるからだ。彼女のもつ致命的ながさつさが目につかない。なので喧嘩もしない。したがって仲が良くなる。彼女がヴァナ・ディールから離れつつあるのも良い。あまり気にしないようにしてたけど、どうやら俺は彼女がPCのディスプレイばかりを観てこっちをみない事に腹を立てていたようだ。分かってみれば結局全部自分の小ささが原因だし、気にしないようにしようと思えば、それはとても簡単なことのように思えた。
一ヶ月が経ち、二ヶ月が経った。
彼女は突然、『パズドラ』を始めた。面白いらしいから始めたの。へぇそうなんだ。ということで俺もやってみた。まあ確かにこのガチャというのは斬新ではあるけども、ゲームとしてはまあ別に……。とか思ってたら、彼女は恐ろしい勢いでドハマりし鬼のように課金しはじめた。おッ。と思った。
「そのさぁ、パズドラ……いうんか? それ課金あんまりしない方が良くない?」
「だって、このキャラ欲しいんだもん……」
「それ、ゲットしたからって何かなんの?」
「リーダーに登録しとくと、他の人も使えるのよ。折角だから他の人にも使って欲しいじゃん」
「自分が使うんじゃなくて他の人のため……?」
ちょっと理解が出来なかった。というかなぜパズドラなのだ。そういえば最近ヴァナ・ディールでは全然冒険してない。リンクシェルの仲間と話す為にちょっとログインしてすぐオフってる。したがってFF11は月額利用料がかかるチャットツールと化している。パズドラ。ヴァナ・ディール。友達が使うため。友達と話すため。だいぶあとになって気付いた。要するに彼女は、家にいる間に俺以外の誰かと話すためにゲームをしていた。FF11もパズドラもだ。そしてFF11とパズドラの一番の違いは、実際に会う人とプレイするか否か。そして俺と彼女がパチスロで結ばれたように、パズドラを教えた誰かと彼女が結ばれるまでには、そんなに長い時間はかからなかった。
……働き始めてたった3ヶ月で、彼女は他の男とホテルに行くようになっていた。
動かぬ証拠を発見しその事実を知った時の衝撃たるやエグいものがあったが、恐ろしいのはその状況を俺が冷静に、かつ淡々とブログにアップし続けていた事だ。当時の呪いのエントリは単独で20万PVを超え、コメントも200件近くつくという個人のテキストブログとしてはなかなかのバズり方をした。まだSNSが一般的ではない時代にそれだ。泣き笑い、というのはまさしくこのことだ。当時はなんかやってないと死にそうだったのでひたすらブログを書いてた気がする。そして人生で初めて仕事の締め切りをトバした。流石にこの精神状態では小説なんか書けませんと素直に言ったら締め切り伸ばしてくれるかなと思ったけど無理だった。結果、大口の仕事をひとつ失う羽目になった。
おっぱいが部屋を出ていく日。万感の思いを込めて一回だけおっぱいを揉ませて貰った。
……ひとはみな、大陸のひとくれ。だけど、つながりも、やすらぎも感じなかった。もはやひとのものになってしまったおっぱいは、ただの柔らかい肉だった。大きく鼻で息を吸って、それじゃあね。それで、終わりだった。
右手のあたたかさ。
天井の木目を数えた経験って誰しもあるだろう。けど、実際死にたい気分で数えた事ってそんなにないと思う。俺はある。おっぱいが出ていってからの数ヶ月はマジでボロボロだった。仕事をする気にもなれない。貯金は底を突いた。別口でちょっと仕事上のトラブルが起きててもはや今までのキャリアを継続するのも不可能になりつつあった。ゼロスタートである。いや、マイナスといって良い。トランクスいっちょで布団に横たわって、蝉の声を聞きながら木目を眺める。暇だったのでその形を覚える事にした。
32歳の夏だ。おっぱいと出会って5年。もはやここから何かを成すには遅すぎる。と思った。思えばあれだ。27歳のあの日。飲み会で隣の席にいた彼女がパチスロの話なんかしたから駄目なんだ。聞かなきゃ良かった。あんな話。あるいは、あの時の彼女があんな胸の空いたシャツなんか着てなきゃ良かったのに。おっぱいとパチスロ。その両方の要素がスクラムを組んでさえいなけりゃ。今頃こんな事にもなってないはずだ。
これからどうしよう。ロボットみたいな動きで寝返りを打って、なんとなくスマホを手に取る。自分のブログにアクセスした。昨晩アップしたエントリに早速沢山のコメントがついていた。ああ、まだブログがあるなぁと思った。よくよく考えても見れば、日本全国のいろんな人が、俺なんかが書いた文章を読んで感想をくれて一緒に泣いたり笑ったりしてくれている。これはとんでもなくすごい事だなと思った。ありがたや。ありがたや。急にガリガリ君が食べたくなって、着替えてコンビニへ向かった。気付いたらスーパードライとポテチを買ってた。缶ビールを開ける。飲む。ポテチを食べる。飲む。蝉の声。なにもない部屋。おっぱいの私物を全部片付けたので、キレイにはなったけどちょっと広すぎる。ポンと音がした。隣の作業場のPCだ。メールの受信音。缶ビールを片手にPCの前に座ってメーラーを起動する。
……はじめまして。突然のメール失礼します。ブログ拝見いたしました。
それは、某パチスロメディアの編集さんからのメールだった。きみをこのままにしていてはいけないと思いました。氏はそう言ってくれた。一度会いませんかとあったので、会いに行った。気付いたら連載を頂いていた。木目の形。ビール。ポテチ。それでポン。メールの音。それで俺は『パチスロライター』になったのだった。以来、今でもそのジャンルでご飯を食べさせて頂いています。
人生のターニングポイントってどこにあるのか分からない。虹の足元に居る人がそうだと気づかないように、そこは振り返って初めて分かるものだと思う。俺にとっての人生の一番大きな分かれ道は、おっぱいに出会った事だと思う。今の嫁さんと結婚出来たのだって、猫がうちにいるのも、あるいはパチスロライターになったのも、ブログが人気になったのも、東京へ出てきたのも。仕事をクビになったのも。どんどんさかのぼって行けばなんとなくおっぱいに帰結する。人生は選択の連続だしチョイスのひとつひとつがそれぞれ影響し合う事は分かってる。なのでどれが一番大切な選択かなんて選べはしないのだけど、それでもそれまでの人生と今を隔てる、一番破壊的な影響を我が人生に与えたのは、あの瞬間、あの飲み会の一言だったと思う。あの一言が、今の俺に繋がっているのだ。
(一番好きだった機種はなんですか? 私は『ウルトラマン倶楽部3』です)
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