パチスロが繋いだ縁!あしのが家電量販店で生きる気力を取り戻した話

パチスロが繋いだ縁!あしのが家電量販店で生きる気力を取り戻した話 eyecatch-image

人には誰しも「暗黒時代」があると思う。

 

まあそういうのが一切無い人もいるかもしれんが、基本なんかしら「戻りたくねぇな」と思う過去のひとつくらい、みんな持ってるはず。なんせ人は失敗しないと学ばない生き物なのだから。若いうちの苦労は買ってでもせよみたいな言葉もあるけども、要するに何かガッツリ失敗して、それを糧に前より少しマシな人間になるという反省&成長のルーティンがないと、ただ独善的でつまんない人間になっちゃう気がする。我が生涯に一片の悔い無し!ってラオウも言ってるけども、そう言ってるだけで戻りたくない過去もたぶんあるからね彼にも。師匠にエロ本見つかったりとか、何か描かれてないイヤな過去があるはずだし。

 

ちなみに、俺もそういう嫌な過去がいっぱいある。同じタイムスリップするにしても、あの頃に戻すのは絶対ヤメてくれみたいなタイミングが。一番エグいのが10年くらい前の足立区民時代の後半戦だ。マジで私生活から仕事から何もかもがボロボロ過ぎて大変だったけども、丁度その時を同じくしてパチスロ業界にライターデビューしているので、何か知らんが我が人生に於いてもなかなか激動の時期だったと思う。

 

チワッスあしのっす。

 

今回のテーマは「家電量販店」について。というか、そこで出会った素敵な人々についてだ。正直彼らには本当に救われたし、もし出会っていなかったらたぶん俺はパチスロライター続けてないと思う。いや、なんだかんだ続けてるかもしれんが、形は絶対に変わってたはず。そんな話です。

 

いくぜプレス!

 


食うに困って職探し!1日で決めないとマズイ。

 

足立区民時代の俺の何がボロボロだったか詳しい話は別稿に譲るとして、ザクッと説明すると「同棲してた女性が男作って出てったでござる」と、それに付随して「物書き出来なくなっちゃって締め切り飛ばしまくった結果、取引先から切られたでござる」の二本立てだった。

 

片一方だけならまあ何とか踏ん張れたけど、同時に来たんですっかり生きる気力を失った俺は、その状態になって2ヶ月くらい無職を貫き、その間ただ西新井~北千住間を散歩して過ごすという、徘徊老人みたいな生活をしておった。もちろんパチスロも行ってたけども、そもそも勝とうと思って無かったんで戦果もボロボロで、徒(いたずら)にお金を失くすだけ。ちっとも面白くなかった。

 

そうするうちにいよいよ生活が立ち行かなくなり、何かのタイミングで「ああ、外に働きに出れば良いのか」と気づいた俺は、あと数日で電気が止められそうな家のPCを使って職探しを始めた。最低限、翌日から働ける所。そして即金でお金が貰える所だ。

 

で、それが某お菓子メーカーの工場だった。

 

いわゆる日雇い派遣というやつだけども、翌日の午前に簡単な健康診断を受けてその夜から夜勤で働くという、なかなかの超スピード採用だった。誰とも口を聞かなくていいし作業内容も簡単で一時しのぎには大変良さげな仕事だったけども、一緒に入ってたオヤジが精神を病んでる系の人だったのか、些細な事でめちゃくちゃ怒鳴って来たので「なるほど!」と思って2日目は行かなかった。んで、そのお菓子工場の帰り道にスマホから見つけたのが「家電量販店での回線営業」という仕事だ。

 

こっちは日雇いじゃなくて月給制だったのだけども、どうも事前に登録しとけば日払いに対応してくれるらしい。しかも奮ってる事に、勤務地が家から徒歩圏内だ。少なくともイカれたオヤジに怒鳴られながらお団子に粉をかけ続けるよりは全然良いだろうと思って電話したら、その日のうちに面接が入った。

 

「あー、あしのくん。回線営業の経験は?」

「めっちゃあります。むしろ回線営業しかしたことありません」

「そう。LINE使う?」

「はい、むしろLINEしか見てないです」

「接客得意?」

「はい。誰よりも得意ですね」

「キミいいね!」

 

これで採用だった。回線営業も接客も学生時代にチョロっとやっただけだし、LINEもほぼ使ってなかったけども、担当者がそういうノリが好きそうな感じだったんでカマしたら即ピックされた。事務手続きに1日要したものの、空けて1日後にはもう入店だった。足立区の、某家電量販店である。

 

……イヤだったら速攻でバックれよう。

 

店舗の外観を眺めながら、派遣会社の営業担当者と一緒にタバコを吸いつつ思った。まあ、ここまでこぎつけただけでも大したもんだよ俺。よく行動した。エライ。だからもう大丈夫。いつでもバックれる姿勢でいこう。大丈夫。大丈夫。

 

これが、その後約6年間に渡る家電量販・ライター兼業時代の幕開けになることを、その時の俺はまだ知らなかった。

 

 

クソ楽しい!! みんな困ったら家電量販店に行け!!

 

「あー、あしのさんって言うんですか。よろしくお願いします」

「はい……。よろしくお願いします」

「即戦力って聞いてますんで、そのつもりで対応しますね」

「はぁ。わかりました」

 

入店後に俺のアテンドについた男の名前はマッキーと言った。チリチリの天パにメガネ。ひげも濃い。喋り方がなんとも横柄で嫌味ったらしく、第一印象は最悪に近かった。あー、こいつとツーマンセルで動くのかよ、と陰鬱な気分になって早くもバックれる気満々になったけども、まだその時ではないなとぐっと堪えた。

 

家電量販店時代の最初期、このマッキーの攻略が一発目の壁だった。

 

最初の3日くらいは、とにかく早く帰りたくて仕方なかった。とにかくマッキーが面倒臭すぎて超ヤだった。物を教え慣れてない感じが半端なく、1を聞いたら100個くらい回り道して0.5だけ教えてくれる感じというか、とにかく一緒にいてイライラする事が多かった。バックれるタイミングしか探ってなかったけども、4日目くらいになってやっとマッキーラッシュから開放され、同じ職場の回線営業の人らと話せるようになってから状況が一変した。

 

まず最初に仲良くなったのは別のキャリアで入ってたギンジさんという人だった。

 

最初あったときにいきなり同じキャリアの人をめっちゃ説教してたので絶対怖い人だと思ってたけども、話してみるとなんと我が故郷・佐世保と縁のある人だという事がわかってから「天津包子の餃子デカかったよな!」という話でやたら盛り上がり、なんか知らんがいきなり仲良くなって一緒にパチスロに行くようになった。

 

次に仲良くなったのはタナトスさんという人だった。最初あった時にいきなりマッキーを正座させて説教してたので絶対怖い人だと思ってたのだけども、話してみると超優しかったので一緒にパチスロに行くようになった。

 

その後仲良くなったのがオカティスさんという人で、この人はもう見た目からして絶対ヤンキーだと思ってたんだけども、話してみるとパチスロ好きのイカした兄ちゃんだったので一緒にパチスロに行くようになった。

 

そう。パチスロだ。

 

ギンジさんもタナトスさんもオカティスさんも、パチスロのビッグファンだった。そして、その業界の隅っこでちょびっと連載を持っておるというアドバンテージにより、俺は彼らと超スピードで仲良くなり、目に見える速度で「染まっていった」。具体的にいうと、入店して2ヶ月目くらいには俺はマッキー本人に対し直接ボロクソに言うようになった。マッキーも最初の居丈高な態度はどうやら無理してたらしく、徐々にその奇天烈なキャラを表に出すようになり、どっちがリーダーなのかよくわからん状態になった。んで、結局仲良くなった。

 

年末くらいになって、新人が入ってきた。ワタヤミーという男だ。

 

沖縄出身、上京してきたばかりの若者だったが、入店して2日後に盲腸で入院するという偉業を達成した。沖縄方言でワタヤミーは「お腹痛い」だ。最近パチスロを覚えたという事で早速我々パチスログループに引き入れて一緒に遊んでたのだけども、ある日彼は初代のパチスロ「AKB48」でボロカスに負け、これで最後と言わんばかりにサプライズリセットをカマしたのちにオカティスさんにお金を借りて規定Gまで回し、なんとそこから閉店ギリで万枚を達成するという奇跡の大マクりをキメた。

 

「あしのさん! 今から焼き肉おごるんで出てきてくださいよ!」

「お! マジかよ! やったねワタヤミー!」

「はい! プレステ3も買っちゃいました!」

「そうかァ! 欲しがってたもんなァ!」

「はい! ウイイレやります!」

「良かったなァ! おめでとう!」

 

笑顔で電車にのって会いに行くと、ワタヤミーは国道沿いのフェンスの所でうずくまったまま何事かをぶつぶつとつぶやいていた。聞けば、道すがらで大枚入りの財布を落としたらしい。口元に耳を寄せると、彼は「誰か俺を殺してください……」と繰り返し言い続けていた。

 

ちなみに、最初の壁として一瞬だけ嫌いだったマッキーも、よく考えるとパチンコの話で仲良くなった。あの人は頭がちょっとイカれてるのか、マックスタイプのパチンコであっという間に3万発くらい出したあと、ゆっくり時間をかけて閉店きっちりで全部飲ませて帰ってきたみたいな話を武勇伝の如く語る変態だった。

 

ああ。思い返すに懐かしい。

 

仕事終わりに全員で足立区のパチスロ専門店に出張ったり、あるいは休みの日にみんなで稼働したり。控えめに言って、この時期はむちゃくちゃ楽しかった。家電量販店。最高だ。

 


夢の終わりと新しき門出。

 

楽しい時期にも終わりは来る。いわゆる「コラボ光」のサービスが始まってメインのスタッフがお店からいなくなる事になったのを機に、お店の雰囲気が一気に変わってしまった。それぞれ暴力的だったり暴れん坊だったり見た目が怖かったりする人々だったのだけども、その胡散臭さが今思えばおもろかったんだと思う。彼らがお店から去ってしまっても何だかんだ大抵の人とは連絡は取り続けているのだけども、ついぞ連れ打ちに行くことはなく。

 

こうなると家電量販店ももう面白くねぇな……と思いきや、そうでもなかった。

 

異動である。その頃になると俺も派遣から直雇用に切り替わっており、時給も最初の倍以上になってた。業務内容がクソ楽ちんだった事もあり、渡り鳥の如くいくつかの店舗をめぐる事になったわけで、さらに業種も回線営業からモノ売りの方に切り替わり、販売も覚えて無敵状態になった。

 

一時期、俺は毎週日本中を飛び回ってとある商品の販売応援をするという謎の仕事をしていた。いわゆる「旅販」というやつである。今日は札幌、明日は京都、その次が名古屋で、次が郡山、みたいな。さらに土日でバイトとして別の旅販までやってる時期があった。こっちは主に関西だ。マジでイカれてた。その頃はすでに3媒体くらいでパチスロの連載を持ってて、そんな生活の合間にホテルでインタビューの記事を書いたりしてたんで、コレは今思うと結構得難い経験だったと思う。

 

量販店時代の最後はアキバの某店だったけども、ここもまた思い出深い。

 

当時はすっかり旅に慣れてた頃で1店舗に固定して働くというのが何とも面倒臭く感じたものだけども、そこでもまた「パチスロ」のおかげで仲間が沢山できた。特にそこで出会った某氏はPCを組んでくれたり引っ越しを手伝ってくれたり原稿の下読みをしてくれたり別の仕事のユーザーミーティングに参加してくれたり、今でもかなり仲良くさせて貰っている。もともとの性格が合ってたのもあるかも知れないけども、やっぱ「パチスロ」が無かったらここまで仲良くなってないと思う。

 

家電量販店の仕事はとにかく人の入れ替わりが激しいし、それに基本的には体育会系な部分が未だ大きい。合う合わないは徹底してあると思うけども、きみよ。無職のきみ。今日明日のパンを望むきみ。例えばあなたがパチスロファンで、そして人生に絶望しつつ、それでも足掻いて足掻いて人生の立て直しを図っているのならば、俺は声をマックス音量にして言いたい。

 

パチスロファンなら、量販で孤立することはないよ。と。

 

日本全国、ちょっとあり得ない数の量販店で仕事した俺が断言する。パチスロの話は絶対誰かしら乗ってくるし、そして乗ってくる人とは大体仲良くなれる。なので、もし人生崖っぷちの気分で、いつかの自分みたいに散歩ばっかりしたり天井の木目を数えつつ毎日を過ごしてる人がいたら、一回調べて見て欲しい。勇気があったら踏み出してみて。大丈夫。最悪バックれればOKだよ。量販のひともバックれられ慣れてるから。

 

最後に、先日ひさしぶりに足立の量販店時代の仲間からLINEがきた。

 

曰く「Twitterで(俺の)記事が回ってきてびっくりした」との事。何だかこっ恥ずかしいけど、これもまたパチスロをやってたからこその再会さね。そのうち財布の余裕がある時にでも、連れ打ちにいきましょうかね。

この記事を共有

いいね!する

2523

この記事にコメントする

関連記事

ランキング

  • 24時間

  • 週間

  • 月間

TOPに戻る