「少年時代の母の悲劇」と「あしの青年19歳」を救った母の教えは「スッと○○」!?回る回るよ時代とデジタル、混沌の昭和ホール回顧録
昭和のホール。子供時代に遭遇したカオスについて
殊、ぱちんこ業界における時の流れというのは良くも悪くも実にお行儀の良いもので、例えばパンチパーマのスタッフさんなんかもうタガメとかゲンゴロウくらいのレベルで絶滅危惧種になってるし、開店と同時に中国のユニクロみたいな勢いでダッシュして台確保とかしようもんなら、たぶん日本全国津々浦々、あまねく全てのホールで出禁になっちゃう。善き哉。善き哉。走っちゃダメよ。
ただ一方で、カオスな時代だったからこそ体験できたのであろう面白い話、みたいなのは巷に一杯あって、それに関しては古豪のぱちんこ打ちならば皆、頚椎が外れるくらいの勢いで深く鋭くうなずいて頂ける事だと思います。俺もね、仕事と趣味を兼ねて年上の方々のそういう闇属性の話を聞く機会が多いのですけど、まー面白い。そしてそういう話を聞く度に「もうちょっとだけ早く生まれたかったナァ」と、なんだか羨ましい気持ちになったりします。
俺は今年で40歳になります。パチンコ歴は20余年。だいぶカオス感が減少してきた時代から打ち始めてるので、前述の如くしたり顔で「昔はなァ!」みたいなのを若者に語る事は出来ないのですけども、ただ俺なりに経験したカオスというのは、もっと子供の頃……つまりパチンコを打ち始める前にまで遡れば、あると言えばあります。
チワッスあしのっす!
今回は俺自身が子供の頃に体験したホールの話について。動画では喋ったことがあるのですが文字で書いた事は多分ないのでこれはセーフ。ノンリサイクル。初出しエピソードです。それでは連載三回目。いくぜプレス!(掛け声)
まず家庭が混沌。俺んちの話。
とりあえずこの話を語るには俺の家の家庭環境についてちょっと触れとく必要があります。俺は東京の池尻という所で生まれました。借家です。一階が喫茶店で、二階が俺んち。間取りとかは覚えてないのですが、チーちゃんというインコを飼ってたのはボンヤリ覚えてます。何で覚えてるかというと、3歳くらいの時に鳥かごをツンツン突いてたら、くちばしでツンッてやられて滅茶苦茶痛かったからです。それ以来チーちゃんめっちゃキライになりました。今でも小鳥はあんまり好きじゃないです。ツンッてやられそうで。
で、ウチは母親がかなりサイケデリックな人です。彼女はなんと14歳くらいから年齢を偽り、赤坂のニューラテンクォーター(力道山が刺殺されたお店)で働いておったそうでして、今だったらお店が一撃必殺で潰れるレベルのハイパー違法行為なんですけども、まあ別に、当時はそんなの一杯居たそうなんで何てことは無かったのでしょう。そして彼女は20代で独立。渋谷にクラブをオープンします。そこに雇われ板前として入ったのが我が父だそうです。
さて、昭和54年。俺が誕生します。後に潰れる渋谷のクラブも当時はまだ絶賛営業中だったらしく、必定、父親と母親、二人して家を空ける機会が多かったようです。ハッキリ言って当時のことは全然覚えてないので憶測でしか語れませんが、おそらく育児の主導権を握ってたのは父親じゃないかなと思います。なぜなら俺は父親が大好きで母親はそうでもなかったから。ちなみにそれは今でも同じです。三つ子の魂百まで……!
ただね、母親から口を酸っぱくして言われてた事が一個あって、それが結構奮ってます。尾木ママとかにも聞かせてやりたいのですが、それは「困ったら、迷わずスッと手を挙げなさい」という事です。
──凄くないですか?
俺はコレ、めちゃくちゃ合理的だと思うのです。だって子供が手を挙げてたら大人は注目するじゃないですか。どうしたの? って絶対なります。そしたらもう子供の勝ちですよ。袖振り合うも多生の縁。大人は困ってる子供と関わりを持ったら、絶対助けてくれます。普通は「こういう時はこうしなさい!」ってケースバイケースで逐一教えるじゃないですか。でもうちの母親は他人に丸投げですから。手を挙げなさいって。死ぬほど他力本願なんですけど、この合理的な感じは見習うべき所があります。うちの母親はそういう人でした。
で、一緒に暮らしてた頃に母親と何かして遊んだとかそういう記憶は一個もないのですが、ひとつだけ強烈に覚えてることがあります。
なんと2人で、パチンコに行った事があるんですね。
ケツを骨折する母。
なにがどうなってそうなったか全然覚えてないのですが、2人で散歩に出たんですね。家から出て徒歩で行ける範囲なんで池尻近辺だとは思うのですが、ソフトクリーム食いながらお手々を繋いで──。ただねぇ、大雨だったんですよ。滝みたいに降ってました。子供心に「こんな時に散歩はちょっと……」と思うくらいドシャってたので、要するに、母親には別の目的があったわけです。
「ねぇひろし、パチンコ行くか?」
これねぇ、何でか分からないのですけど「パチンコ」っていう単語は俺知ってたんですよ、当時から。しかも大人がたまに行く遊びとして、既に認識しておったのです。何でかは分からない。両親の会話の中に出てきてたのかも知れないし、テレビかも。ただ、実際には行ったことはないんで、パチンコという概念のみ。実態は分からない。そんな感じで「ああ、パチンコか」と思ったのはすげえ覚えてます。
母ちゃんは俺の手を引いて──。あんまり知らない方の道へ、知らないほうの道へ。もしかしたら途中でバスに乗ったかも知れない。それもちょっとあやふや。以前佐々木真さんにこの話をした時、当時営業してたホールを3つくらいまで候補として絞ってくれたんですけども、とにかく、パチンコ屋が「大きな道に面してて」「入ってすぐ半地下に降りる階段があって」「両脇に2階に登る階段があった」のは凄くよく覚えてます。
これ渋谷区の某店じゃないかなぁと思うんですよ俺。かの店舗のオープンは割と最近ですけど、建物を居抜きで買ってるらしいんですよね。まあどうでも良いですけど、つい最近かの店に行った時「あ! ここじゃん!」ってめっちゃ思ったのは記しておきます。
で、大雨じゃないですか。ギャンギャン降ってるわけですよ。母ちゃんは傘を差して、俺の手を引いて、ダッシュで入店するわけです。ギャンギャン降ってますからね。濡れたくないから。エイって。エイエイッて。入店入店!って。入るわけです。そしたらエントランスの床が超濡れててツルッツルになってるもんで、勢いよくスコーンと転ぶわけですね。
スローモーションでした。
半開きの傘がくるくる回りながら弧を描いて──。母ちゃんが滑った勢いで尻を強打し、そのままカーリングのストーンの如く滑って半地下への階段を落ちていくわけです。その度に尻をスコンスコンと打ち付けながら……。
母ちゃんはねぇ、息子が言うのもアレなんですが、奇天烈だけどカッコいい女性だったんですよ。腰くらいまでのロングヘアで、オシャレだしね。スタイルもスラっとしてて、まーやっぱ夜の女! って感じだったんですよ。そこだけは認めてました。それがねぇ、尻を抑えながら獣みたいな唸り声を上げるわけですよ。ングォァーッ! って。半地下で。恐ろしいのが、そんな状況でもハンドルを握るおっさんたちは台しか見てないんですよ。誰も救いの手を差し伸べない。「バカがコケた」くらいにしか思ってないんですね。「走ったら滑るに決まってんだろうがよ」みたいな。
初めてのパチンコ屋ですよ。独特じゃないですか、雰囲気。なんかチャリンチャン言ってるし。変な曲かかってるし。タバコ臭いし。んで母ちゃんが尻を押さえて七転八倒してるわけですよ。俺はもうどうしたら良いかわかんなくなって泣いちゃって……。もうねぇ、カオスですよ。子供がえぐえぐ泣いて、母親が尻押さえて呻いてて。外はどしゃ降りだし。軍艦マーチみたいなの鳴ってるし。その状況でもみんなハンドル握って一向に気にせず──。
そして頭の片隅で母ちゃんの教えを思い出したんですね。
(ひろし、とにかく困ったら手を挙げなさい──……)
──あ、いまだ! と思って、スッと手を挙げました。
そしたらねぇ、偉いもんで、尻を押さえる夜の女はシカトしても、子供が泣きながら手を挙げてたら大人が一斉に気にしてくれるんですよ。どうしたの坊や。みたいな。母ちゃんを指差して。死んだ……死んだ……って。めっちゃ生きて悶絶してるんですけど、とりあえずちょっと盛っとこうと思って。たらもう、早かったですよ。店員さんらしき人が超速で飛んできて「すぐ近くに病院あるから!」って、母ちゃんを二人がかりで両脇から抱えながら、どっか連行していくわけですよ。んで俺は泣きながらそれについていきました。人生初ホール。滞在時間二分くらい。着座せずでフィニッシュでした。
ちなみに母ちゃんは尻の骨を折ってました。尻の骨ってどこだよと未だに疑問ですが、本人が「お尻の骨を折ったおかげでつるんとしたわよ」と意味不明な供述をしてるので、文面通りに受け取るしかありません。ケツの骨です。
回るよ。リールも。デジタルも。時代もね。
さて、時代は一気に進んで1998年頃。あしの、19歳です。人生初、パチンコを打つ歴史的な日がとうとうやってきました。場所は長崎県の佐世保市。Cというお店です。座ったのは今でも覚えてます。ニューギンの『ミルキーバー』です。あれは権利モノといって、大当たり後に右側の役物に玉を入れる事で3回ワンセットの出玉を獲得できるというシステムになっていました。要するに右打ちが必要なんですね。で、俺は当たると思ってなかったんで、結構適当に台を選んでフンって座って、見様見真似で玉を借りて「ああ大丈夫、俺知ってるから」みたいな雰囲気を出しつつ打ってたわけです。
そしたらね、当たったんですよ。でも良くわかんないんですよ。何がどうなってるのか。聞きかじった知識くらいしかないし、周りのおじさんとかがすっごい見てくるし、なんかもう「あれ、俺コレもしかして凄い損してない?」みたいな気持ちにドンドンなるわけです。パニックです。
でねぇ、落語みたいな話になって申し訳ないのですけど、俺ねぇ、マジでその時呼び出しランプの存在も知らなかったんで「スッと手を挙げた」んですね。そしたらパンチの店員さんがすっ飛んっで来て、全部教えてくれて。何なら交換の方法とかも。全部。
ああ良かった。パチンコって楽しいな。
その時はそれしか思ってなかったんですけど、後年気づいて戦慄しました。
人生初回のパチンコホール。そして二回目のパチンコホール。俺は両方とも「困ったら手を挙げなさい」という母ちゃんの言いつけを守り、そして助けられてるんです。これはねぇ、凄いことだと思います。なんだかんだ、母の教えは尊い。三つ子の魂百まで。好きじゃない。好きじゃないけど、お母さん。生んでくれてありがとうございました。
以上! 今月はここまで! チャオ!
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