ある“恐怖症”からウソにウソを重ねた結果…悲しい結末を迎え、さらにマイホを変更する事態になった「お弁当の話」
お弁当とマイホ変更。あしのの心に未だに刺さる小さなトラウマの話。
スティーブン・キング先生の名著に「IT」というのがある。ペニーワイズというピエロの父ッつぁんが色々と暴れまわるホラー小説なんだけども、最近映画版がリメイクされたんでそっちでご覧になった方も多いかもしれない。そのリメイク版に関してはオイラはまだ見てないんでどういうオチになっておるか知らんけども、オリジナル版のペニーは「相手が一番怖いと思っている事を具現化して見せる」という、なんかジョジョに出てくるスタンド攻撃チックな技を使っておった。
怖いもの。これはまあ「恐怖症」と言い換えても良い。蜘蛛が嫌いなのは「アラクノフォビア(蜘蛛恐怖症)」とかね。あと蓮コラとかは「トライポフォビア(集合体恐怖症)」と言ったり。最近は「ゼノフォビア(外国人恐怖症)」なんてのもある。
ペニーがピエロの格好をしてるのは実は、アメリカ人の一定数が潜在的にピエロを恐れているかららしく、なんとそれには「コルロフォビア(道化師恐怖症)」という名前までついてたりする。ドットコムじゃなくてパイレーツのほうのカリビアンで有名なジョニー・デップがそのコルロフォビアであることは映画ファンには結構知られておりますが、彼は恐怖症が過ぎて逆に家にピエロのデカい絵を飾っておるそうな。よくわからんけども、まあマゾなんだと思う。
我々日本人からするいまいちピンと来ないこのコルロフォビアも、アメリカ人の気持ちになってみると何となく理解できなくもない。いわゆるホームパーティとかでピエロ呼ぶらしいからね。彼ら。オイラだって物心が付くか付かんかくらいの時分にああいう感じの白塗りのオヤジに抱っこされたりすると、心に何かしら傷を負うのかも知れないもの。
あと、あちらでかなり有名な猟奇殺人鬼に「ジョン・ゲイシー」というオッサンが居るんだけども、その二つ名は「キラー・クラウン」で、それは彼がまさしくホームパーティでピエロに扮する事が多かったから付けられたものだったりする。これは写真も残ってるんで興味があるかたはググってみると良いかもしれませぬ。まー、道化師恐怖症気味の人がアレ見たらしっこ漏らすと思われる。
とりあえず、アメリカという国の人々にとってはそういった事情により「ピエロ」そのものが何か不穏だったりキモかったりするんだろうて。
んでまあ今回これだけピエロピエロ言ってるんで「ああジャグラーの話だな」と思った方も多いかもしれないけども、違うんだなぁこれが。へへ。
では本題。いくぜプレス!!
オイラの恐怖症。
冒頭のコルロフォビアみたいな感じで、人は誰しも「えー、こんなんが怖いの」みたいな恐怖症のひとつやふたつ持っておるものでして。オイラの場合はまず「先端恐怖症」があげられる。尖ってるのが無理なのだ。中学時代とかは酷くて、シャーペンの芯とかも無理だった。理由は良くわからんが、生理的に無理。今でも針は大嫌い。特に「カエシが付いた奴」が本当にイヤで、視界に入るだけでめちゃくちゃ気分が悪くなる。
更に、オイラは「海」が嫌いだ。
厳密に言うと「足がつかない場所に浮かぶ」のが極端に怖い。そういう絵とか写真だけでも結構イヤ。これ最近名前が分かって「タラソフォビア(海洋恐怖症)」というらしいんだけども、これも分からない人にはさっぱりわからんらしい。個人的にはその試金石は「オープンウォーター」という2003年のアメリカ映画だと思う。アレは「怖い」と思う人と「怖くない」と思う人でその感想がアボカドのようにカパッと別れる。んで「怖くない」人にとってはあれはただの糞映画だ。が、「怖い人」にとってはその後の人生に悪影響が出るくらい怖いのです。そしてオイラは当然後者。「なんて恐ろしい映画を撮りやがるんだ」と、抗議のメールを送りそうになるくらいイヤだった。単純な嫌悪感でいうとあれを超える映画は未来永劫出てこないと思うほどに。
というわけで、オイラは40歳を迎えた今でも海で泳げない。
タイに旅行行った時も、みんなが楽しそうにプーケットの海でスクーバダイビングに勤しんでおるなか、オイラは一人だけ洋上の舟に待機しておったし、先日沖縄に行った時も、ついぞ水着には着替えず。ビーチから足だけちゃぷちゃぷさせるのが精一杯であった。だって怖いんだもん。仕方ない。
──さて。10数年前の話だ。
当時オイラは東京都の足立区という、鬼の泣く街カサンドラのような所に住んでいた。んでまあカサンドラなのでウイグル獄長のようなオッサンが一杯居たのだけども、一方で心優しき民もやっぱりいた。その頃オイラが足繁く通っていたお店にNというパチンコホールがあった。今もあるのかどうかちょっと分かんないけども、当時はそれなりに賑わっていた優良ホールで、まさしくそういう種もみ系老人たちが集う、希望の村みたいな雰囲気の場所でありました。当時オイラは別業界のライターとして今と同じような生活をしてたのだけども、仕事の合間にその店に向かっては、ひとりで勝ったの負けたのと日々一喜一憂しておったのですな。
でねぇ、その店なんだけども、サービスでお弁当くれるんだよね。
お昼くらいになるとエプロン姿の婆様が弁当満載の袋を両手に下げてやってきて。それを配る。もらった人は一斉に休憩札差して、車の中とか休憩所とか。あるいはお店の外の花壇なんかに座って、談笑しながら食べる。みたいな。まあ牧歌的というか。ああ、こういうサービスやってんだなぁと。オイラは当時も裕福ではなかったんで、これがあると凄い助かるわけですよ。昼食代が浮くんで。ただ、どうやって貰えば良いかが分からない。チャンスがあったら聞いてみようと思ってた頃に、ちょうど弁当袋下げたお婆さんが「はい、どうぞ」「はいあなた」って配ってる真横に着座してプレイしておりまして、ああ、これはチャンスだなと。恐る恐る聞いてみたわけだ。
「すいません、お弁当ってこれ、予約かなんかしとかなきゃ駄目な感じですか?」
「いや? 全然大丈夫よ」
「え、じゃあ、オイラ貰ってもいいです?」
「もちろん。どうぞ」
「やった。嬉しい。いただきます!」
受け取ったお弁当は使い捨てのお弁当容器の、半分にお米。半分におかず、みたいな感じのスタンダードなやつだった。おかずが何だったかとんと覚えてないんだけども、ちょうど腹も空いてたし、一旦休憩札差してお茶買って、で休憩用の椅子に座って食べた。でこれがね。結構ウマかったんだよね。
あぁ、これ毎日貰おう。めっちゃ食費浮くじゃんこれ。ラッキーだなぁと。
おいウソだろ。まじかよ。お婆さん!
で、しばらくはお弁当を狙う毎日が続いたのだけども、観察するに、その店のお弁当配布はサービス的にちょっとランダム性が強い感じだった。要するに「配る日」と「配らない日」みたいなのがあって、しかもその法則性が見えない。今日は来るかなぁとワクワクしながら待ってると来ない。あーもーあのサービス辞めちゃったのかなぁと思ったら忘れた頃に来る。みたいなね。もしかしたら特定日とかイベントに合わせてるのかなと思ってホームページでチェックしたりしたんだけども、特に何の情報もない。
ある時はある。無い時はない。とりあえずそのサービスはそういうものだと割り切ってお弁当時間を狙ってホールに居るようにしたんだけども、ある時お弁当配ってるスタッフのお婆さんが、普通にジャグラー打っててね。あれ、なんでこの人ジャグラー打ってんだろと。不思議に思ったわけですよ。スタッフさんは打てないじゃないか。普通そのお店では。ハハァン辞めたんだなと。でまあ常連さんたちに挨拶みたいな感じで来て、ちょっと打ってんだろうなと思ったわけで。
でもねぇ、しばらく見てると、そのお婆さんが普通に一旦外に出て、でしばらくして弁当の配布を始めるわけですよ。ンー? 変だぞ。
「はい。どうぞ。はいあなたも。あなたもいる?」
「……あのー。お婆さん。このお弁当って、お店のサービスですよね?」
「いや? あたしが勝手に配ってるだけだけど」
「え、なんで?」
「趣味よ」
「趣味ッ!?」
聞けば、お婆さんは料理が趣味で、みんなに喜んでもらいたくて弁当を作って来ているとのこと。ただ身銭を切ってまで作るのは違う。義務になるのもイヤなので、お婆さんがパチンコやらパチスロで勝った日の翌日に、時間があるなら作ってきてるとのことだった。法則性がなかったのはそのせいだ。
「えー……。凄いなぁ。お店とかやられてるんですか?」
「いや? 全然」
「あー、じゃあ元料理人だったり……」
「ううん。タクシーやってたわよ」
「なるほど……。もうじゃあ、完全に趣味で……」
「そう。やっぱりみんなが美味しい美味しいって言ってくれるのが嬉しくてサ」
そう言って笑顔で通路の奥に去っていく婆様。これはもう凄い話だと思う。隅っこを突っつけば何かしら違反みたいな話になるかも知れんが、まあもう時効だろうて。そこはあんまり深く考えず。美談として片付ける事にしましょう。ね。古き良き時代の徒花よ……。
と、そうは問屋が卸さないわけで。
家に帰ったオイラは、いよいよ持ち帰ったその弁当を前に唸っておった。そう。オイラにはもうひとつ恐怖症があった。「知らん人が作った飯恐怖症」だ。これ身の回りにも結構居るし、これをお読みの方にも絶対いると思う。
例えばねぇ、知り合いの作った奴とかならいいのよ。彼女とかも。その母ちゃんとかも。全然大丈夫。勿論だけどお店もオーケー。ただ、知らん人が作ったタダ飯が全然食えないのである。
弁当を前に、唸りながら頭を抱えた。
あのお婆さんの厚意を無碍には出来ないが、びっくりするくらい食いたくない。こないだまでウマイウマイって食ってたじゃねぇかと思うかも知れんが、それはもう過去の話だから。だって食ってた時のオイラは少なくとも何かそういう免許持ってる人が作ってると思い込んでたからね。アップデートされた最新情報のフィルタを通してみると、もうこれは得体の知れない婆様が作った食べてはいけない飯(失礼)になってるわけで。いや、もちろん棄てたりは絶対できない。だってもうこれは厚意だからね。善意と言い換えても良い。完全なるボランティアなわけで。それはそれは尊いものだと思うし。棄てることはどうしても出来ないんです。ただ、絶対食いたくないだけで。
「……なにこれ?」
「うん、弁当」
「美味しそう」
「食べていいよ」
「どこで買ってきたの?」
「……ベルクスの惣菜コーナー」
「ふうん。こんなんあったっけ?」
「たまにあるんだよ」
「賞味期限書いてないけど」
「ああ、剥がした」
「ふうん。いただきます」
「うん。どうぞ」
最終的にオイラがとった解決策は、当時一緒に住んでた彼女(おっぱい)に食わす、というものだった。
ウソにウソを重ねると悲しみが生まれる説。
その後も、お婆さんは弁当を配り続けていた。すっかり顔見知りになった俺は「厚意を無駄に出来ぬ」という一心プラス「まあどうせおっぱいが食うし」という打算のもと弁当を貰い続け、それを持ち帰っては「惣菜コーナーで買った」と言い張ってはきゃつに食わす、というのを繰り返しておった。こうしてお婆さんのお弁当がオイラに与える心理的負担はゼロになったのだけども、まあゼロになったらなったで「弁当を配る婆様の存在」というのを忘れちゃうのですね。
ある日のこと、オイラはおっぱいと一緒にNへと向かった。休みの日だし、たまにはパチスロ打とうぜ、ああオイラいい店知ってるよ。みたいな流れで行ったのだけども、その時オイラは弁当の存在を100%忘れて、並んで緑ドンか何かを打っておった。
「ハイ! どうぞ」
不意に通路側から差し出される弁当。
「ウイッス。お婆さん、いつもありがとうございます」
咄嗟に受け取って、そして気づいた。あ、これオイラやらかしてる。おっぱいの視線が、差し出された弁当に向かう。目が合う。婆様が口を開いた。
「あら。今日はお連れさん? もう一個いる?」
なんか言わないと。と思った。脳みそが高速で回転して、そうしてオイラは不意に、こう言った。
「ああ、これベルクスの人」
ベルクスとは、足立区の成城石井とも呼ばれる地域密着型のスーパーマーケットである。全ての足立区民はベルクスで腹を満たし、そして子を育てる。足立区民の聖なる母にして父。それがベルクスなのだ。
「へぇ……」
おっぱいはちょっとアホな子だったので、それで納得した。が、婆様は恐らくその一言で全てを理解した。オイラが婆様の飯を食っていないことを。そしてそれを彼女に「ベルクスで買った」と言って食わせておることを。婆様と目が合った。差し出された弁当が、ゆっくりと引かれた。
ああ、と思った。
……マイホールの変更。というのは長く打ってると良くある話で。オイラも何回も経験してる。廃業してしまったり、自分自身が引っ越したり。店長が変わって店の雰囲気がおかしくなったり。
常連のお婆さんに合わす顔がなくて変更……というのは、もしかしたら珍しいのかもしれない。だけどもオイラは実際、その後その店には一度も行ってないし、おそらく今後も行かないと思う。
心に残る、小さな針のようなトラウマ。ただその針にはカエシが付いていて、今でも抜けずに困っている。
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