華の命は短くとも…好きすぎて往復10時間かけても駆け付けた“狂った華”の記憶

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好きすぎて駆けつけた華の記憶

 

えー、もう2カ月以上、パチもスロも打ってないウエノです。もう、どうにかなりそうなのを通り越して、どうでもいいです。

 

……いや、どうでもよくない!

 

すんごい打ちたいです!

パチもスロもすんごい打ちたいです!

で、都内では、もう打てます!(6/7現在)

でも、ここまで打たなかったのだから、今一番打ちたい台から始めたい!

今一番打ちたい台からパチ&スロ人生を再開させたい!!

 

……となって、思い浮かぶのはただ1機種。

本当なら今すぐ駆けつけたい“華”があるのですが……。

思い返せば、やたらと華の下へと駆けつける人生でした。

 

家を引き払い、グロリアのワゴンに乗って旅打ちに出た28歳の秋。伊豆、伊勢を回った後、辿り着いたのは愛知県一宮市。国道を走っているとチェリーの看板だけを掲げている店を発見したので、慌ててハンドルを切って入ってみると、案の定、スロ専でした。

 

リプレイ4連で確定なんていう『エイトマン』があったので通い始めて2、3日目。一番の奥のシマだけヤケに薄暗いことに気付きまして。行ってみると、暗がりの中でチカチカと光っていたわけですよ。

 

『ハイハイシオサイ』という名の華が。

 

店で一番の客付きなもんだから、これはなんかあると思って打ってみたところ……華が光った。リール消灯。白く光る7がグルングルン回って「綺麗だなぁ~」。で、また、レバーを叩く。すぐ光る。リール消灯。「綺麗だなぁ~」。すぐ光る。何度も光る。リール消灯。「綺麗だなぁ~」……って、コレ。

 

最高じゃねーか!!!!

 

最初の華との出会いでした。

それから毎朝、店に通って華を光らせる日々。ただ、自分に課したルールとして「同じ県に1カ月」というのがあったので、泣く泣く移動したのです。愛知から岐阜、滋賀、京都へと……しかし華とは一切出会えず。大阪でようやく『シオサイ』という華に出会ったのですが……なんか違う! 俺が求めているのはチェリーの看板の店の、薄暗いシマでチカチカと何度も何度も光る、『ハイハイシオサイ』の華なんだぁぁぁぁぁぁぁぁ……。

 

気付いたら大阪から車を飛ばして一宮の店に駆けつけていたのです。

 

チェリーの看板の下をくぐり、駐車場に停めて、ダッシュで薄暗いシマへ行き、とにかく空いている台に座ってレバーを叩きまくり、最初に光った瞬間のことは今でも忘れられません。ありがとうござました……。

 

そう、思い返せば、やたらと華の下へと駆けつける人生でした。

 

高田馬場の編集部で仕事が終わってすぐに大久保の『ハナハナ(スイカ5円)』に駆けつけたこともありました。調布に住んでいたのに朝イチから四谷の『シオラー(チェリー)』に駆けつけていた時期もあります。

 

距離で言ったら東京から愛知県岡崎市にある『ビッグシオ(GOD)』に駆けつけていたのが最も長いのかなぁ……。時間にして片道5時間。よく同乗していた大崎一万発氏がある日、こんなことを言いました。

 

「ギリ通えるね」

 

片道5時間。往復10時間。店が9時開店の23時閉店だから14時間。合わせて24時間。

 

うん、まあ、車の中で寝ていられるお前らはギリいけるかもしれないけど、運転手である俺はギリ無理なので通うことはなかったけど、雑誌の校了明けとかにはダッシュで駆けつけたりしていたわけで。当時は他機種の新装なんて日も全台に設定を入れるから朝イチから並びに行くわけですよ。覚えているのは初代『猛獣王』新装の日。

 

100人くらい並んでいたかな。当時は整理券なんてないから、並び順というか、ドアの近くにいる順から店の中になだれ込むスタイル。8時前には駆けつけていた俺らはまあまあ前のほう。『猛獣王』も取れるんじゃないかってところにいたけど、9時に開店して駆けつけたのは『ビッグシオ(GOD)』のシマ。俺らだけじゃなくて、並んでいるほとんどヤツが『ビッグシオ(GOD)』と『シオラー(チェリー・ハズレ・チェリー)』に走って、『猛獣王』は終日余裕で打てる状態でした。

 

結果はというと、後ろで打っていた沖ヒカル氏があからさまにツモってモリモリ出しているなぁと思い始めた頃に千Gの周期天井1回目。2回目、3回目とスト天3発喰らったところで、ようやく設定①と認めてギブ。その段階で20万円くらい負けていたのかな。フラフラになって初代『ミリオンゴッド』をボーッとしたまま打って、負けを増やしまくって27万円負けになったところで車に戻って倒れていました。

 

それが人生最高額の負け。それでも翌週くらいには名古屋へ『ビッグシオ(GOD)』の開店に駆けつけていたのだから、モノホンでした。ありがとうございました……。

 

そう、思い返せば、やたらと華の下へと駆けつける人生でした。

 

いやいや、愛知よりももっと遠いところに駆けつけていたことがありました。白鷺城下町のあるお店。詳しいことはコンプライアンス的に割愛しますが、朝イチ新幹線で駆けつけて開店のカウントダウン0でレバーオン。あとはひたすら『めんそーれ』や『イミソーレ』の華を眺めてレバーを叩き続けるだけ。

 

パネル越しに眺めていた手柄山遊園の観覧車が4年前になくなると知ったときは、思わず駆けつけそうになりましたが「あのイカれた華がないのに行ってどうする! あの狂った華とセットの観覧車だろう!」と、己を抑えました。

 

大体、昼には財布の10万円がなくなり、隣のローソンへおろしに行くついでに天一を食べて一旦落ち着き、結局、夕方過ぎにはまあまあ負けて帰ろうとするんだけど、気付いたらビジネスホテルに泊まって翌朝、また駆けつけているなんていう日々を1週間ほど過ごして帰京。1カ月後くらいにギャラが入ったらまた駆けつけるというのをくり返していたのに、よく生きていたなぁと感心します。

 

その後は、あまり華の下へ駆けつけることのない人生でした。

 

もちろん“様子のおかしい”華の情報を耳にしたら、常に駆けつけていました。それで「大したことないなぁ」となったり「なんだよ、ガセかよ!」となったりしても、それはそれで楽しい思い出となっています。

 

「花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき」

 

改め、

 

「華の命は短くとも、楽しきことの多かりき」

 

命尽きる前に駆けつけたい華が、今あります。

しかし、県をまたがなければならないので行けません。(6/7現在)

 

小池の百合子氏が「県をまたいでもいいよ!」と言ってくれたらすぐに駆けつけようと思っています。そして数日、駆けつけ続けた結果、常連客に……

 

「アイツ、いつも出してねぇ?」

「華を光らせ過ぎだよな?」

「ていうか『“OZ”の魔法使い』かよ!」

 

と、噂されたいと願っています。

 

嗚呼、あの華の下へ、今すぐ駆けつけたい……。

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