パチンコは「堕ちた」のか!?カルチャーの変質を「コミュニティの一生」を見ながら考えてみた

大崎一万発 プロフィール

「パチンコ必勝ガイド」で編集長となった後、2003年にフリーに転身。
その後も編集者、ライターとしてパチンコ媒体に携わりつつも、タレントとして多数の地上波やWeb番組へ出演。また、パチンコ関連のアドバイザーやプランナーとしても活動中。

「コミュニティの一生」というよく知られたコピペがあります。元は2ちゃんねるにおける、ひろゆき氏の書き込みから派生したものだそうですが、「コミュニティ」を、自身のよく知る分野に置き換えてみても、なるほどなぁと首肯する指摘ではないでしょうか。

 

 


【コミュニティの一生】

 

面白い人が面白いことをする

面白いから凡人が集まってくる

住み着いた凡人が居場所を守るために主張し始める

面白い人が見切りをつけて居なくなる

残った凡人が面白くないことをする

面白くないので皆居なくなる

 


 

僕は90年代前半に、旅先の海外でとあるジャンルの音楽をベースとしたポップカルチャーと出会って大きな影響を受け、以降趣味のひとつとして関わりを続けています。きっかけこそ偶然ではありましたが、後に日本に持ち込まれたそのシーンが、数年の間ガンガンに盛り上がって拡大した後、(上のコピペで言うところの)凡人とコマーシャリズムに取り込まれ、エッジも輝きも失って、ありきたりのポピュラーカルチャーに堕していく一連を目の当たりにしてきました。

 

そのカルチャーがもたらした影響は、形を変えつつ野外フェスであったり、あるいはダンスミュージックのジャンルとして現在の日本にすっかり定着しており(だからポピュラー、なのですが)、「堕した」と表現するのは適当でないのかもしれません。しかし黎明期、オリジネーターたちの思想や理念に共感し、「面白い」のベクトルを間違いなく共有して一緒にシーンを作り上げてきた原初の参加者や運営者は、その変化拡大に伴って離脱していき、現在は表面的には似ていても、精神性は明らかに異質な、「元職」からすればそれ違うってと冷めた目でしか見られない何かへと変質してしまいました。

 

いやいや、社会も文化も変遷するのが当たり前なのだから、グダグダ昔話をしてんじゃないよとお思いの方もいらっしゃるでしょう。まことおっしゃるとおりで、「残った凡人が面白くないことをしている」はずの現在のシーンが、往時よりはるかに盛り上がりを見せる現実を受け入れないのは、時代の価値観を認めない老害思考そのものであるし、また広がった間口をきっかけに参入した新たな世代の一部が、原点の価値観を再発見する場合だってあり得るわけだから、コピペにあるような経緯を辿らなかったことは成功だし、むしろ喜ぶべきというのがおそらく間違いのない解釈なのでしょう。

 

しかし、自分が何に反応して、何を面白くてそのジャンルに興味を持ったのか、その根っこが別モノになってしまったんですから、そんな正論は頭では理解できても簡単に受け入れられるものではない。さらには、拡大の代償として避けられない、同じ価値観を共有している者しかいなかった「大きな内輪ノリ」とも言える安心感の喪失。当初は極めて間口の狭い、その分猛烈に濃い世界でしたので、いわゆる「呼ばれた人」しかたどり着けなかったものが、関わって5〜6年経つぐらいだったか、同じ場にいて同じようにしているのに、明らかに求めているものが違う、思想の違う人たちが目立つようになったのは。そしていつの間にかにその比率が逆転し、場のエネルギーは薄まり、ああ自分の居場所はなくなってしまった、ここも終わってしまったと実感する時が訪れる……現在のようなシーンであったら、僕はそこにいなかったと断言できるわけで、やはり主観含みでは「堕した」と言わせてもらう他ないのです。

 

僕はパチンコにおいても、「打つ側」としては上記と同じような感慨を抱きながら遊んでいます。誤解のないよう申し上げますが、何らドヤるつもりはありません。が、現在のパチンコのあれこれ、すなわちゲーム性や周辺カルチャーや関わる人たちの精神性その他は、僕の琴線をかき鳴らした当時のそれとまるで違ってしまったのは事実で、そこに疎外感や寂しさを感じるのは仕方のないことです。しかしそれは健全化であり産業として成熟した結果ですから、堕した、凡人のせいだと言うつもりもありません。一言で言うなら、時代が変わった。だからもし今の僕が一般の打ち手であったら、諦観含みで受け入れて、昔を懐かしみつつ適当に遊んでいる優良ライトユーザーになっていたんだろうなぁ、そんな感想です。

 

幸か不幸かパチンコと一蓮托生を選んでしまった僕は、しかし適当に遊ぶわけにはいかず、かといって身勝手な懐古趣味を主張してもナンセンスでしかなく、じゃあどうすんだよ! ってところが……難しい問題なわけですね。そう、一般客とも、腹をくくった業界人とも微妙に異なる特殊な立場。ここなんです、悩ましいのは。

 

先の音楽カルチャーは変質したとは言え、拡大したことで「成功」を収めた。しかしパチンコは、「皆居なくなる」が冗談ではないかもしれない転換期を迎えているのです。だから本音はさておき(もちろん業界には義理も借りもありますから、変わったとて存続隆盛を願うのは偽りではありません)、お客さんが増えてくれるよう広報宣伝に邁進するのが運命を共にする者の責務。なのですが、個人的な「面白い」の根っこが失われた現状では、まあまあ無理している側面もなくはないわけです。

 

とはいえ、そんな宙ぶらりんの状態でも、食い扶持のためだけにやっているわけではないのがパチンコのまた面白いところでもあり。なんだかんだ興味津々で遊んではいるのです。現在は、勝ち負けよりゲーム性より、「なぜパチンコはこうなのか」というあり方そのものに対する探究心が勝っています。台から店、店から業界、そして歴史へ未来へと、興味の対象、俯瞰の度合いを広げた結果ですが、パチンコが現在のポジションを勝ち得た(逆に言えば追い込まれた)理由を追求していくと、必然的に日本社会の特殊性や歴史的背景、法的な建て付け、さらには人間心理の綾その他、遊技の本筋から外れた「どうでもいい」方面を深掘りすることになります。

 

もちろんかなり偏った見方ではあるのですが、これが思っていたよりはるかに意義深く、遊技そのものに対する原理主義的熱量が下がったことで逆に、新たなモチベーションを得られたとも言えます。ただの玉入れ遊技に非ず、ゼニカネのやりとりだけに非ず。意外な方面の好奇心をも刺激してくれるカルチャーとして立派に確立しているのがパチンコであり、やっぱり偉大だよなぁ、懐深い趣味だよなぁと、改めて感嘆しながら連日打ち散らかしている。そしてマリンちゃんの「ごめんね」に惑わされつつ自己満足の思索にふけり、時に一応の到達点を得た意見をマニアックな支持者に開陳ながら、頂戴したお金の何割かを業界と勝ち組ユーザーに還流している。そこに何の問題があろうか? ってか、だいぶ特殊な趣味であり、仕事(?)ですよね。応援してくださる皆様には感謝の言葉しかありません。

 

それしかできることはないし、ぶつくさ言うことはヤメません。いろいろあったけども、なんだかんだトータルで言えばパチンコのこと、嫌いじゃないからです。浮かれた美女と遊びに行ったら、薄っぺらいEDMだろうが「最高だね〜!」と心にもないセリフを吐く僕ですが、パチンコはそんな雑に扱えない。決定的な違いです。

バックナンバーはこちら

この記事を共有

いいね!する

577

この記事にコメントする

以下の内容を含むコメントは削除対象とさせていただきます。

・公序良俗に反する事項、個人情報、誹謗中傷、スパム行為

・禁止語句を回避する旨の記述、伏字を含む文字列