大崎一万発が寂しさを抱いたパチンコ業界の変化。そして新しい世代への願いとは?

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大崎一万発 プロフィール
大崎一万発

「パチンコ必勝ガイド」で編集長となった後、2003年にフリーに転身。
その後も編集者、ライターとしてパチンコ媒体に携わりつつも、タレントとして多数の地上波やWeb番組へ出演。また、パチンコ関連のアドバイザーやプランナーとしても活動中。

更新が遅れてしまったことをお詫び申し上げます。もう20回目というのに、未だ〆切りを把握せずやらせてもらってます。すみませんでした。

 

というわけで(遅れてしまったことをネタにして恐縮だが)、今日2/2は節分である。節分と言えば鬼退治、豆まきでお馴染みだが、昨今は恵方巻きを食べる日でもあるようだ。僕が子どもの頃はそんな風習などなかった。もともとは関西の……、と聞くが、大阪出身でもそんなの知らんて人も普通にいる。wikiによれば、20年ほど前、スーパーマーケットチェーンの仕掛けにより広がった、風習というより販促の賜物らしい。

だから大阪に地縁も血縁もない僕にとっては、豆まきこそが懐かしい記憶と共にあるザ・節分であって、恵方巻きなんて新参は受け入れがたい。コマーシャルに乗せられたようでなんだか嫌だって感情のが強いのである。

 

しかし小5の息子にとっては、節分とは豆まきと恵方巻きである。テレビでさんざん煽られる中、僕自身は特に食べたくはなくても、子どもが喜ぶからと毎年の恒例にしてきた。物心ついた時から恵方巻きは、息子にとって伝統行事の一環であり、バレンタインデーと並ぶ2月の楽しみなイベント。僕の母親世代が、幼少期には体験していないはずのバレンタインにチョコを用意してくれたように、うちも恵方巻きを買ってくる。そして息子もまた、恵方巻きだったりハロウィンだったり、また今後新たに生まれるかもしれない「風習」を、自分の子どもに受け継いでいくことになるのだろう。

時代は、世代は、変遷していく。それを実感できるぐらいは生きてきたんだなぁ、と「サーモンと、あとトンカツが入ったやつがいい!」と面倒なメニューのリクエストをして学校へ行く息子を見送りながら、感慨にふける朝だった(直訳すれば「歳を食って寂しい」という意味である)。

 

そんな感慨を家庭ばかりでなく、パチンコ屋に出入りしていても毎回のように抱くようになった。顕著に感じるのは、萌え化、オタク化である。台ばかりでなく、ホール内外の装飾もそうだ。遊技機のキャラクター、タイアップアニメやゲームのヒロインがズラリお出迎えしてくれる。真面目な話、アニメショップやゲームセンターと勘違いする人だっているかもしれない。

ホールのイメージキャラクターを努めるのは、ゆるキャラの着ぐるみ。SNSではアイドルさながらの女性スタッフが、かわいいダンスやおしゃれ制服を披露してくれる。勝負よりアイドルスタッフと写真を撮るために通うお兄さん、イケてるYouTuberの来店は、サインを求める若い女性客が長い行列を作る。

表に見えない部分だって大きく様変わりしている。大学で経営学を学んだ優秀な二代目さんが舵取りをし、立ち働くスタッフさんは愛想も頭もいい。タバコは吸わない、趣味はゲームとサイクリング、SNSではネットスラングだって自在に使いこなす。キャバクラに誘っても苦手なんで、と断わられることもしょっちゅうだ。趣味は酒と女とギャンブルだなんてアウトロー気質の業界人は、僕より若い世代のホールスタッフではもはや絶滅しているのではないか……。

 

正直、なんじゃこれはとも思う。パチンコとは、コワイもの暗いもの油断できないもの、ではなかったか。少なくとも大人の階段を登る第一歩であり、ワルぶるヤツらの通過儀礼ではなかったか。紫煙渦巻く薄暗い店内で、眼光鋭いパチプロとパンチパーマの店員におびえながら、おっかなびっくりハンドルを握った、あのパチンコの姿はもはやない。

自分の中のパチンコのイメージは、長らく覚えたてのあの頃のままであった。それが実態とかけ離れていたわけでも、見立てを間違っていたわけでもおそらくない。しかし、何十年かをかけて、少しずつパチンコは変わってきた。モーフィングのようにじわじわ変化したから実感が伴わなかっただけで、今と30年前を並べたら、見た目も中身も、関わる業界人やお客さんの気質も明らかに違う。そして、今と昔が連続したものではなく、不可逆的に切り離して認識すべき別のモノに変質したと悟るのである。時代は変わった。世代も変わった。新しいパチンコは始まっているのである。

 

清き水が心地悪くてパチンコに流れ着いた僕のような人間は、遠からずに居場所をなくすのだろう。そして僕が惹かれた、好きだったパチンコのあれやこれやも過去の話になっていくのだろう。寂しいけど仕方のないことである。もはや泥水に潜むドジョウはお呼びでないのだ。これからのパチンコは、キラキラ輝く清流に躍る若鮎のような、健康で健全な業界人、ホールスタッフ、そしてお客さんが作っていく。当初バレンタインを小バカにしてたようなオッサンでも、今では孫からのチョコに目尻を下げて受け入れる好々爺である。いや業界において僕はまだ若輩者ではあるけれど、そんなジジイの気持ちもちょっとはわかるぐらいには経験を積んできたということだ(直訳すれば「歳を食って寂しい」という意味である)。

 

若い読者の皆さん、せっかくパチンコに関わったのだから、どうせなら長く付き合ってほしい。この先も変わり続けるパチンコを見守ってほしい。そして何十年か後に、変わったよなぁと感慨にふけるぐらいまで腐れ縁を続けてほしい。働くにしても打つにしても、それがパチンコの歴史を紡ぐということ。バトンをつないでほしいと切に願う。

僕が死ぬ頃、パチンコはどう変わっているのだろうか。

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