天草ヤスヲは「漫画も描けるパチスロ系何でも屋」?異色の活動で注目を集める男の素顔に迫る! (1/3)
天草ヤスヲ
熊本県出身。専業から漫画家アシスタントを経て漫画家デビュー。パチスロ7の「苦愛シリーズ」は長期連載の人気シリーズに。Webでの連載や動画出演、来店実戦および取材、さらに連れ打ち企画など漫画だけではないフリーの「パチスロ何でも屋」として業界全体の盛り上げに活躍中。- https://twitter.com/amakusayasuwo
- 天草ヤスヲのちゅんげーブログ
- https://ameblo.jp/yasuwoamakusa/
- 苦愛取材 4番は俺だ!【公式】
- http://blog.livedoor.jp/kurabu_syuzai4/
- ブッコミ回胴記
- https://pachiseven.jp/articles/list_article/41
パチンコ・パチスロ業界のスペシャリストに迫るインタビュー企画「エキスパート」
今回のスペシャリストは
「苦愛シリーズ」でお馴染みの漫画家で、演者、スロッター、集客アイコンという色々な顔をお持ちの天草ヤスヲさんです。
実は取材開始前にこんなお話が…
まず最初に言っておきたいのが僕のカテゴリーなんですけど、正直漫画家じゃないと思っているんです。自分の中では「漫画も描けるパチスロ系何でも屋」って感じですね(笑)
なのでバリバリ漫画家として質問されると、「今やってないし、そんな偉そうに答えられないな」って思うんですよ。
わかりました。ではパチスロに関わる方ということでお話を伺えればと思います。
それから、ネットで拝見しましたが「先生」と呼ばれるのも好きではないと。
そうですね。僕らの世代って学校の先生と生徒が仲悪くて、やんちゃな子なんかはほとんど先生と敵対してたんですよ。だからその「先生」っていう呼び名自体が偉そうで好きじゃないんです(笑)
学校の先生に限らず、政治家、医者、漫画家も「先生」って呼ばれますけど、そのカテゴリーに含まれるのはちょっと抵抗ありますね。
ではこのインタビューでは「ヤッさん」と呼ばせてもらってもよろしいですか?(笑)
はい!ヤッさんで大丈夫です(笑)
ということで、第1回はヤッさんの「漫画も描けるパチスロ系何でも屋」になったきっかけを聞いていきます。
よろしくお願いします!某有名店での料理修行は「地獄でして…」
ではまず経歴から伺っていきます。
パチスロ漫画のアシスタントから19年、漫画家デビューから18年、漫画連載から17年ということですが、デビューのきっかけや現在に至るまでの流れを教えていただけますか。
最初は実家が地方で飲食業をやっていて、父が「料理の鉄人」っていうテレビ番組の出演者と仲良くなったのがきっかけでその方のお店に就職したんです。でも入ったら地獄でして…
修行の日々だったんですか?
そうですね。実家でやっていたのは皿洗いや接客で、料理は全くやったことがなかったし、専門学校も行ってなかったんです。でもそこは専門学校のエリートばかりで、コネで入った人間なんてほとんどいなくて、先輩も「なんだこいつ?」って感じだったんですよ。
自分もなめてた部分があって、入って2~3ヶ月はホールスタッフをやるんですけど、それはすごく楽しかったんです。でも料理になったらコテンパンにやられました。時代的にも殴る蹴るとか当たり前ですし、先輩に対して本当に後ろから金属バットで殴ってやろうかなって思ったくらいでした(笑)
事件になるところでしたね(笑)
入った時は35人くらいいたのが、辞める時には4人くらいしか残ってなかったんですけど、みんなめちゃめちゃやる気に満ち溢れてたんです。僕は「早く仕事終わらないかな~?」って思いながらやってるのに、「何が何でも一流になってやる!」って、みんな仕事が終わってから自分の修行するんですよ。
それで「俺、多分上に上がれないな。この子たちのやる気とは違う」と思って辞めました。
それが何歳の時ですか?
19歳の年末ぐらいですかね。しっかりした企業なのでボーナスが出るんですけど、もらってから辞めると非難されるからその直前にバックレました(笑)
そんな辞め方は嫌だったんですけど、辞めますって言ったら絶対に説得されるんで、2日間くらい全部着信拒否にして連絡取りませんでしたね。
雲隠れですね(笑)。親御さんは何か仰ってましたか?
辞めて実家に帰ってから家族会議になりましたね。
僕には兄と姉がいるんですけど、姉はCAで外国人と結婚してアメリカに住んでいて、兄は一流のお店で料理の修行をしてました。
親は飲食店を何店舗か経営しているので、企業を大きくするために全員に継がせる予定だったんです。だから「何で店を辞めたんだ!」って言われましたけど、僕は「もうやりたくない。自分の好きなことを見つけたい」ってモメました。
跡継ぎならではの問題ですね。
そうしたら兄が「家のことは全部俺がやるから、弟には好きなことをやらせてやってくれ」って説得してくれて、晴れて自由の身になりました。
兄に「東京で夢を探したい」って言ったら「じゃあ頑張ってきなよ」ってお金も貸してくれましたね。
めちゃめちゃ良いお兄さんですね。
そこからバイトとかしてたんですけど、あんまりお金の回りが良くなくて、その時に「そういえば中学くらいからずっとスロットをやってて、高校の時はクランキーコンドルとか技術介入機で勝ってたな」と思って。
しのけんさんが大好きで日記や「喰うならやらねば!」も読んでたし、「俺もスロットで一発やってみよう!」と色んなホールを回ってたら渋谷のあるお店で、学校も行かずにスロットばっかり打ってる大学生たちと出会って、専業生活が始まりました。
それがちょうどハナビが出たぐらいからAT機規制が入るまでの3年くらいで、爆裂AT機時代はスロプロやってましたね。
パチスロ仲間は多かったんですか?
そうですね。その頃ってスロット勝てるし楽しいし、それこそ渋谷だったので、有名大学のやつもやんちゃなやつもみんな仲間みたいな感じで一緒に打って遊んでいました。
本当にバカなんですけど、「1年目の給料聞いたら300万だって。俺ら1000万稼げるじゃん」って学校辞めちゃうやつも多かったですね(笑)
ところで今のところ漫画のまの字も出てきませんが…(笑)
そうでしたね(笑)。そんな感じで楽しかったんですけどAT機ブームも終わるし、僕が22歳でみんなが大学卒業するくらいの時に、「ずっと漫画が好きだったからそれに関わることをしたい!」と思ったんです。編集とかでもよかったんですけど、まずはやりたいことに一番近い漫画家を目指してみようと思ってアシスタントに応募しました。
高橋ヒロシ先生の「勝手に言わせてもらえば」ってコラムで、先生も僕と同じような生い立ちで漫画家になったと書かれてて、「俺も絶対にそうなる!」って思って弟子入りのハガキ書いたり電話かけたんですけど、編集さんから「先生のところは君みたいに漫画を描いたことない子が感化されて駆け込み寺みたいになってて、もう満杯なんだよね。だから申し訳ないけど」って断られました(笑)
※高橋ヒロシ先生の作品:「クローズ」、「WORST」など
高橋先生の影響力すごいですね(笑)
高橋先生は元々、谷村ひとし先生のアシスタントだったんですけど、そこの先輩に早坂よしゆき先生がいたんです。スロット漫画もいっぱい描かれていて面白くて好きだったし、僕はスロプロだったから「何ならスロット詳しいから補てんもできます」って履歴書を送ったんですけど、数名の応募者の中で僕が一番絵が下手だったから、面接だけしてみようと思ったらしいんです。
面接では「君はきっと漫画家にはなれないよ。22歳から絵を勉強しようとか遅すぎる、少なくとも18歳からやるべき」って言われました。でも俺、スロットでお金稼いでて貯金があったんで「給料いらないんで机一つだけ貸してください!」ってお願いして、とりあえず3ヶ月お試しということになりました。
最初はもちろん手伝わせてもらえるわけでもなく、ずっと練習をしてましたけどね。
※早坂よしゆき先生の作品:「代打教師 秋葉、真剣です!」「EXCITING WILD BOY くにお」など
「給料いらないんで」はなかなか言えません…それまで絵は描かれていたんですか?
学校で落書き程度ならありますけど、「こいつ漫画家になるかもな~」とか「絵上手いな~」ってほどではなかったです。特にスロプロの時なんて全く描いてなかったですね。
では本当にそこに入ってイチから始めたんですね。
あ、でも漫画家になりたいっていう漠然とした夢はあったので、プロットみたいなのは切ってました。
僕が元々描きたかったのは「TOKYO TRIBE」とか、「ギャングキング」みたいな漫画だったんですよ。でも「クローズ」も好きで、ギャング的な漫画も描きたいなと思ってて(笑)。それで色々メモったりしてました。
ネタは常に集めていたんですね。
だからこそですけど、最近色んな方がバンバン捕まってるのを見て、本当にやめとけって思いますね。大麻から始めて脱法ドラッグとか、ヤバいところまでいくのを見てきましたから。
僕はタバコも吸わないんでやらなかったんですけど、軽い気持ちではじめた人がどんどん落ちていって、スロプロで勝ってるのに借金苦になったりしてて。ドラッグ系は絶対にやらない方がいいなと思いましたね。
捕まっても「大麻は良い」とか言ってるけど、いやいや、そこから始まってどんどん入っていくんだよって言いたいです。ほろよいから始めてストロングに入っていくようなもんです(笑)
なるほど、わかりやすいです(笑)。アシスタントの仕事はどうでしたか?
兄から「お前は1回逃げたんだから、次に本気でやりたいって思ったのからは絶対に逃げるな」って言われてたので頑張りましたし、アシスタントも何もできなくてすごいキツかったんですけど楽しかったっていうか、できないのは当たり前、怒られるのもしょうがないって思ってやってました。
優しくも厳しくもしてもらいましたね。向こうからしたら「なんでこんなこともできないの?」って本当にムカつくだろうなって思いますけど(笑)
良い環境だったんですね。
すごい楽しくて、休日も返上してやってました。
これがターニングポイントの漫画家のアシスタントになったこと。
そうですね。目標が決まったことがデカかったです。
最近若いライターの子たちに、「どういうライターになりたいかわからないと努力のしようがないよ」って言ってるんです。今だと演者に近いんですけど、バラエティでいくのか、ガチでいくのか、どっちもやりたいならさらにやらなきゃいけないこともあるし、得意分野は何かちゃんと考えないとって。サッカー選手になりたいのに遠投してても意味がないのと同じなんです。
僕はその時に漫画が軸にできたので楽しかったですね。まあ、みんな僕は漫画家になれないと思ってたので、応援してくれてる人はいなかったんですけどね。
未経験で飛び込みですもんね。
だから「お金もあるんだし、やってみれば?」って感じでした。その頃休みを返上してアシスタントをやっても、時代が良かったんでパチスロでコンスタントに40~50万は勝ててたんです。
しかも若いし絵を描いたことがなかったから、1年やればスラムダンクみたいな絵が描けると思ってました。経験者だったら難しいのがわかるからそこまで言えないんですけど、自分がどれぐらいやれないのかわからなかったので、大風呂敷を広げられたんです。やっぱり未経験者は強いですよね(笑)
素人から見てスラムダンクは単純に絵が上手いイメージですが、漫画家から見てどうですか?
いや、何も語れることないです(笑)。画家で言うならピカソみたいな感じじゃないですかね。
ピカソってめちゃめちゃ上手いのにエンターテインメントじゃないですか。あの人も崩したりとかめちゃくちゃ上手ですし、本当にすごいです。
より一層すごい方に感じてきました。
ドラゴンボールの時代から歴史を変えた人ですもんね。それまでは悟空みたいな絵が流行ってたんですけど、もう一回写実系に戻ったというか、漫画を変えた人の作品だと思ってます。
僕、ゴリの気持ちに入り過ぎて大人になっても泣いちゃいますもん。子どもの頃なんて何とも思ってなかったのに、「こんなに湘北のためにやってきたのか…!」って胸が熱くなります(笑)
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