しのけんが「パチスロ界のレジェンド」と呼ばれるまでを当時の資料と共に振り返る!! (1/3)
しのけん
東京都出身。月刊パチマガスロマガ専属ライター兼パチスロ生活者。高校卒業からスロプロとして活動、後にパチスロ攻略マガジンで専属プロとしてライターデビュー。現在もライター、動画出演など多岐に渡る活動をしながらも、パチスロ生活者としての稼働をメインとしたストイックなスタイルでカリスマ的な人気を誇る。ゆるキャラが大好き。パチ/スロ業界のスペシャリストに迫るインタビュー企画「エキスパート」
今回のスペシャリストは
コラム「喰うならやらねば」や漫画「しのけん」の原作者でパチスロ攻略マガジン他、テレビ・WEB動画・新聞など多方面で活躍されているレジェンド誌上プロ、しのけんさんです。
第1回はしのけんさんのこれまでの「経歴」からライターになった「きっかけ」、「印象に残った仕事」などを聞いていきます。
しのけんデビューまでの道のり
カフェオレの差し入れからスタートです!ではまず経歴から伺っていきます。
ライター歴が27年、スロ歴が32年ということですが、デビューのきっかけは何でしたか?
ライターデビューするきっかけはパチンコ攻略マガジンでパチンコ大会を開催した時がありまして。
自分がたぶん19歳くらいだったのかな?高校卒業してからパチンコとパチスロ生活、いわゆるパチプロみたいなことをやって1年くらい経ったときですね。
そのパチンコ大会に参戦されたんですか?
はい。当時パチマガで言ったらベンツさんとか飛鳥さんとか誌上プロといわれる方たちもその大会に参加するっていうので、ちょっとミーハー的な部分と、自分の実力がどんなものなのかっていうのを試してみたくて応募しました。
結果的に決勝には残ったけど、決勝では上位とかではなくて普通に終わったんです。でも大会に参加してた中でその時最年少だったのかな?その後の打ち上げでいろいろ聞かれて編集部の人に興味を持ってもらって…
ではそこでデビューの話になって?
そこで一旦スロマガとの関係は終わったんです。その後パチンコ攻略マガジンの必勝王っていう増刊号で、全国パチプロ図鑑をやるのでパチプロ募集みたいなのがあってそこに応募しました。
BOSSさんと竜吉さんと八つ橋吾郎さんっていう3人の攻略軍団と対決するプロとして自分と和泉さんともう1人が選ばれたんですよね。
豪華なメンバーですね。対戦結果はどうだったんですか?
パチプロ軍団が勝ったんですけど、そこで原稿書かせてもらったのが本当の意味での、ライターとして文字を書いて原稿料もらった最初になりますね。
パチンコ大会が19歳でそれが1年後くらいなんで…二十歳くらいにパチプロの「篠崎健二」としてデビューさせてもらいました。
パチプロ「篠崎健二」の誕生ですね。
そうですね。そういう中でライターというか誌上プロになりたいみたいなことを打ち上げやパチンコ実戦の企画で言ってたら「もし本気で興味あるんだったら履歴書送れよ」って言われて。
それで履歴書を送りましたね。スロマガが載せていたニューパルの減算値判別っていう設定判別法を使って立ち回ってたので、「今はニューパルで食ってます。スロマガに載ってた減算値判別すごい使っています」みたいなことを履歴書に書いたら「ちょっと1回編集部来い」って言われて、「あれって本当に使えるの?そもそも設定5以上なんてホールに存在しているの?」みたいな(笑)
予想外の質問ですね(笑)
「いや普通にあります。スロマガに載った設定判別法ってパチンコの釘が見えるくらいの攻略法なので。パチンコメインだったのが比重が上がってほとんど7割くらいパチスロやってます」って言ったら「じゃあお前日記書いてみない?」って感じになってライターデビュー…
パチスロの「しのけん」としてのデビューが決まったのはその辺かなと。
デビュー当時の貴重な資料が登場!
そのパチプロ大図鑑って雑誌1冊丸ごとパチプロが紹介されているんですか?
1冊丸ごとではなくて、パチンコの企画の中の5~6ページくらいにそういう図鑑が載って、全国のパチプロが当時はみんなグラサンとかかけて見た目もバリバリ意識してみたいな(笑)
本当にパチスロで食ってるのかどうかわからないオカルト打法で勝ってますみたいな人もいて、自分もその中の一人って感じですね。
想像つきますね(笑)
しのけんさんもサングラスかけてたんですか?
自分は…ちょっとあの…ただの根暗な少年でしたね(笑)
サングラスかけてる中に1人少年がいたら逆に目を引きますね根暗な少年ですか(笑)
そういう時は「俺は出玉これだけ出したよ」ってアピールとかされてたんですか?
はい。その頃の原稿は凄く痛々しくて「ブラボーキングダムの単発打ちをいち早く手に入れて出禁になった」とかそんなしょうもないこと書いてましたね(笑)
その頃の武勇伝みたいな形で。
そうですね、はい。
以前「月刊パチマガスロマガ」の永山編集長にインタビューさせていただいた時の年表でも「1995年:パチスロ界のレジェンドしのけんデビュー」と記載されてましたね。
たぶん編集長の年表で書かれてるのは「しのけん」としてではなく「篠崎健二」としてのデビューですね。
当時の資料を見せていただきました!しのけんさんも懐かしそうです皆さんサングラスかけてますね連載したら「店バレ」しました
ここからは店バレしたお話を聞いていきますちなみに実戦記を書かれたりということですが、具体的にはどんな記事を書かれていたんでしょうか?
本当に当時の稼働日記をただ書いていただけですね。
半年もしないうちにパチスロライターとして初めて実力漫画みたいなのを始めさせていただいたりBOSSとの旅打ちをやり始めたくらいで、基本はただ日記を毎月1回書いていました。
漫画の原作はどこまでしのけんさんが書かれているんですか?
自分の実体験をベースにセリフやら何やら考えて原作を書いていました。原稿用紙20枚くらいに構図とかも指定して。
漫画原作は当時から今までずっとやっているんですか?
最初はパチスロコミックって漫画誌で、別の漫画家さんのがスタートです。今のあぎじゅんこ先生の漫画になってからは、それこそいろんな出版社で連載させていただいたのですが、パチスロ漫画ブームが一段落したときに終わりまして。
何年かのブランクがあったあと、白夜書房の方と繋がったときに「できれば理想はうちでしのけんの漫画をやりたいんだよね」って言っていただいたんです。
白夜書房っていったらプラントピア…まあ双葉社のライバルだったんだけど、プラントピアに話してみたら「うちで今漫画誌出してないからやっていいよ」って。
しのけんさんはご自身で応募されて誌上プロになられてますけど、ライターしのけんとして自分で「売れたな、有名になったな」って実感した時ってありますか?
なんだろう…外から漫画の主人公になってくれって依頼があったり、トゥナイトって深夜番組に出させていただいたり、あとは読者とかに声をかけてもらえるようになったりとかですかね。
露出が増えるとより知名度も上がりますよね。
ちなみにプロとして稼働されていて面が割れるとちょっとまずいなっていう時とかありますか?
いい店がバレるっていうのももちろんあったんですけど、連載始めた時点では、大丈夫だろうなと。今みたいにメディアも多くなくて攻略誌を買う人が余程の物好きくらいだったので、バレないと思ってたんです。
なので日記初期の時にまあ…浅はかなんですけど、「自分が普段通ってる店はN駅N店」っていう日記を書いていたんですよ。それが都内の日暮里のノーベルってとこで(笑)
特定されかねないですね(笑)
常連さんしか来ないような店だったのに、連載開始して5~6回目くらいから見たことない人たちが朝から並んでて、他の年配の常連とかが「何でこういうやつが来だしたんだ」って。
そんな連載始めたって周りに言ってなかったんで、その年配のパチプロだか常連がその人たちに「何でうちの店来出したんだ」って言ったら「しのけんさんの日記に載っててたどり着いて」っていうことがあったりとか。
プロが通ってるなら皆行きたいですもんね。
このことがあって「あ~こういう風に書くっていうことはリスクもあるんだな」って感じたのと、そうやって自分の物を読んでくれてる人がいるんだなって強く感じましたね。
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